気楽会の観光案内課
第30回6月12日(日)参加者募集中です。
第30回「気楽会の観光案内課」
日時:2016年6月12日(日)9:00~16:00
集合場所:気仙沼市役所
参加費:2000円
お問い合わせはメールで
kesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp 主催:気楽会
カレンダー
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
最新記事
(05/25)
(10/16)
(10/01)
(06/02)
(04/28)
最新コメント
ブログ内検索
月ごとの記事
メンバー
カウンター
今見ている人:
ガイドライン
楽しく見てもらうために
次に掲げる目的や用途のために
本ブログを利用している、と管理者側から判断した書込みは、予告なく削除させて頂きます。
・いやがらせ、悪口、脅しなど、当団体・個人等を野次ったり、傷つけたりする目的で利用すること
・その他、管理者側から見て不適切だと判断する書込み ご協力お願いします。
アクセス解析
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
こんにちは 気楽会東京支部のアキヒロです。
先週の土曜日に横浜の山下公園で開催されていた「Y152」に行ってきました。
山下公園の一角に
「東日本大震災復興支援物産展」が開催されていました。
気仙沼からフカヒレや地酒が販売されていました。
ほやぼーやグッズもありましたよ。
もちろん
「おだづなよTシャツ」を着ていきました。
かなり目立つので2,3人の方に
「背中撮らせてもらいましたよ」と言われました。
気仙沼人にはお馴染のサンドクリームパンが売っておりました。
いやぁ、懐かしいですね。
テントの横には写真が展示してありました。
津波直後や現在の気仙沼の様子がわかります。
幸町や魚市場近辺が写っていたので、
隣で見ていたオジサンに即興で写真案内をしました。
気仙沼の物産を販売している姿を見て、思わず涙が溢れてきました。
頑張っている姿を見るとなんだか涙腺が緩んでしまいます。
ほんとにがんばっぺね。
タイミングが悪く「波板虎舞」が見ることができませんでしたが、
横浜で気仙沼を感じることができました。
次はどこで気仙沼を感じるのだろう。
いや、受け身ではなく、今度は自分たちが気仙沼を感じさせるようなことを
東京でしなければならない!
相談する相手のTKさんは忙しいので、さてさてどうすればよいものか。
先週の土曜日に横浜の山下公園で開催されていた「Y152」に行ってきました。
山下公園の一角に
「東日本大震災復興支援物産展」が開催されていました。
気仙沼からフカヒレや地酒が販売されていました。
ほやぼーやグッズもありましたよ。
もちろん
「おだづなよTシャツ」を着ていきました。
かなり目立つので2,3人の方に
「背中撮らせてもらいましたよ」と言われました。
気仙沼人にはお馴染のサンドクリームパンが売っておりました。
いやぁ、懐かしいですね。
テントの横には写真が展示してありました。
津波直後や現在の気仙沼の様子がわかります。
幸町や魚市場近辺が写っていたので、
隣で見ていたオジサンに即興で写真案内をしました。
気仙沼の物産を販売している姿を見て、思わず涙が溢れてきました。
頑張っている姿を見るとなんだか涙腺が緩んでしまいます。
ほんとにがんばっぺね。
タイミングが悪く「波板虎舞」が見ることができませんでしたが、
横浜で気仙沼を感じることができました。
次はどこで気仙沼を感じるのだろう。
いや、受け身ではなく、今度は自分たちが気仙沼を感じさせるようなことを
東京でしなければならない!
相談する相手のTKさんは忙しいので、さてさてどうすればよいものか。
PR
やまだです。
昨日一昨日と東京に行ってきまして
土曜日の夜は代々木にある「魚がし」さんで
気仙沼の方々と飲んできました。
こちらが魚がしさん。
気仙沼出身の親方がやっているお店で、
東京の気仙沼人の集い「あがらいでバー」では
いつも会場としてご協力いただいています。
※あがらいでバーの様子は、
僕が自分のブログに書いた記事をご覧ください。
お店の前には、
宮城・気仙沼を支援する会の掲示。
そして、気仙沼の地酒あります、の掲示。
さすが親方!!
こういうのはとってもありがたく、嬉しいですね。
さて、18時半過ぎくらいから、飲み始め。
急な声がけにも関わらず、ケンジさんと岩手さんの
お二人にご一緒していただきました。
ケンジさん、岩手さんは、この週末で行われた
横浜フェスティバルでの気仙沼物産展に行かれて
その足で来られたとのことで
なんとお寿司の差し入れです☆
まさか代々木で気仙沼のお寿司が食べれるとは!
嬉しいっ!!
こちらは魚がしさんのお刺身。
さすが魚がしさん、美味しいのを揃えてます!!
途中から気仙沼のお酒も入って、
けっこう飲んだのでケンジさんも上機嫌♪
また、たまたま来店していた気仙沼出身の
藤田さんとその彼女さんがカウンターで飲んでたので
途中から混ざってもらって一緒に気仙沼トーク☆
結局、23時過ぎまで4時間以上盛り上がりました。
特にケンジさんの気仙沼話はやっぱりおもしろく
いつまでも聞いていたいカンジでした(^^
こうやって魚がしさんでは自然と気仙沼人が集まって、
いつも気仙沼話に花が咲いているんですよね。
こういう東京での拠点になるようなお店があるというのは
本当に貴重なことだと思いますね。
ということで、東京近辺にお住いの気仙沼好きの方は
ぜひ一度、お店に行ってみてください。
あがらいでバーも7月に行いますので
開催が正式決定したらこちらでもお知らせしますね。
気仙沼にはたくさんの応援が寄せられています。
支援物資や義捐金もほんとありがたいですが、
友だちからの電話だったり、遠くの方からの手紙だったり、
多くの、気もちがこもった「支援」も大切にいただいています。
特に子どもからの応援というのも純粋で、元気をわけてくれます。
忙しい日々が続きますが、こういった「つながり」こそが明日への希望を生み出します。
これから暑い夏が待っていますが、なんとか乗り越えましょう。
そいえば、気楽会ではKatari Bar (カタリバー)というイベントの再開を準備してます。
若者同士、ヨコのつながりを温める企画で、震災前まではゲストをお呼びしたりして、定期的に開催してました。
詳細は後日アップしますが、これがよく「あがらいでバー@東京」と被るんだー^ _ ^ ;
東京の気仙沼あだりの方も、最近げんきにしてますかー?
支援物資や義捐金もほんとありがたいですが、
友だちからの電話だったり、遠くの方からの手紙だったり、
多くの、気もちがこもった「支援」も大切にいただいています。
特に子どもからの応援というのも純粋で、元気をわけてくれます。
忙しい日々が続きますが、こういった「つながり」こそが明日への希望を生み出します。
これから暑い夏が待っていますが、なんとか乗り越えましょう。
そいえば、気楽会ではKatari Bar (カタリバー)というイベントの再開を準備してます。
若者同士、ヨコのつながりを温める企画で、震災前まではゲストをお呼びしたりして、定期的に開催してました。
詳細は後日アップしますが、これがよく「あがらいでバー@東京」と被るんだー^ _ ^ ;
東京の気仙沼あだりの方も、最近げんきにしてますかー?
ども。R-1です。
震災が起こって来週で3ヶ月が経ちます。
正直あの時の事を記事に書くのは迷いましたがブログを書く機会をもらったことで、自分自身何を思いどう行動したかを忘れない為にも震災後の4日間の出来事を書くことに決めました。
たぶん長くなるので何週かに分けてアップします。
3/11
仕事で上司と共に神奈川は相模原へ出張。
いつものごとく日帰り出張なので今日も帰ってくるのは夜10時過ぎ・・・の予定だった。
打ち合わせ担当を任されるようになって一人での出張が多くかったが今回珍しく上司の車で一関へ。
(ちなみに僕は鉄骨会社で図面の仕事をしています。)
今回1つの物件をウチを含め3社で鉄骨を製作するすることになっていたので東京で他の2社の担当者と合流し一同相模原の現場事務所へ移動。
途中の昼食時の会話で偶然にも担当者全員が同い年だった事を知り互いにビックリ。
その日の打ち合わせ内容は現寸検査といって鉄骨を製作する前に溶接の方法や細部の納まりを確認する大事な打合せ。
トップバッターは僕。1週間資料を準備した甲斐もあり僕の検討案はすんなり了承してもらい次の担当者に打合せをバトンタッチして終了。
前日は遅くまで仕事していたので少々疲れた。妹に東京駅のリラックマストアでおみやげでも買ってってやるかなんて思っていたその時、地震が発生。
相模原でもかなり揺れが大きく、その場にいた人全員で戸棚やテレビなど倒れそうなものを押さえた。
現場の所長が「ここでこんな揺れるのは相当だぞ。」と一言。
表で基礎工事で使用していた重機がグワングワン揺れてたもんな。
これはやばいぞとテレビをつけると太平洋一帯に大津波警報が発令されていた。
「大津波!?」
最初はまた数センチ位なんだろと、仕事そっちのけでテレビを見ていたら明らかにいつもと雰囲気が違うことがすぐに分かった。
大船渡近辺の映像が流れたので凝視していると数分で海の水位が増していき、堤防を越え流された小型漁船が近くの橋桁に衝突、そのあと次々に車や家が流されて行く。
現実に起こっている事なのに現実味がなく映画か?と錯覚してしまうような感じだったのを覚えている。
地元気仙沼の映像がやっと流れた。最初の映像はフェリー乗り場の立体駐車場あたり。
すでに水位は2階まで届いていてその瞬間、浮き桟橋が駐車場2階に衝突。さらに漁船がぶつかる。
映像を見た瞬間一気に意識は現実に引き戻された。
「母がやばい・・・」
最初に脳裏に浮かんだ・・・・。
次週に続く
震災が起こって来週で3ヶ月が経ちます。
正直あの時の事を記事に書くのは迷いましたがブログを書く機会をもらったことで、自分自身何を思いどう行動したかを忘れない為にも震災後の4日間の出来事を書くことに決めました。
たぶん長くなるので何週かに分けてアップします。
3/11
仕事で上司と共に神奈川は相模原へ出張。
いつものごとく日帰り出張なので今日も帰ってくるのは夜10時過ぎ・・・の予定だった。
打ち合わせ担当を任されるようになって一人での出張が多くかったが今回珍しく上司の車で一関へ。
(ちなみに僕は鉄骨会社で図面の仕事をしています。)
今回1つの物件をウチを含め3社で鉄骨を製作するすることになっていたので東京で他の2社の担当者と合流し一同相模原の現場事務所へ移動。
途中の昼食時の会話で偶然にも担当者全員が同い年だった事を知り互いにビックリ。
その日の打ち合わせ内容は現寸検査といって鉄骨を製作する前に溶接の方法や細部の納まりを確認する大事な打合せ。
トップバッターは僕。1週間資料を準備した甲斐もあり僕の検討案はすんなり了承してもらい次の担当者に打合せをバトンタッチして終了。
前日は遅くまで仕事していたので少々疲れた。妹に東京駅のリラックマストアでおみやげでも買ってってやるかなんて思っていたその時、地震が発生。
相模原でもかなり揺れが大きく、その場にいた人全員で戸棚やテレビなど倒れそうなものを押さえた。
現場の所長が「ここでこんな揺れるのは相当だぞ。」と一言。
表で基礎工事で使用していた重機がグワングワン揺れてたもんな。
これはやばいぞとテレビをつけると太平洋一帯に大津波警報が発令されていた。
「大津波!?」
最初はまた数センチ位なんだろと、仕事そっちのけでテレビを見ていたら明らかにいつもと雰囲気が違うことがすぐに分かった。
大船渡近辺の映像が流れたので凝視していると数分で海の水位が増していき、堤防を越え流された小型漁船が近くの橋桁に衝突、そのあと次々に車や家が流されて行く。
現実に起こっている事なのに現実味がなく映画か?と錯覚してしまうような感じだったのを覚えている。
地元気仙沼の映像がやっと流れた。最初の映像はフェリー乗り場の立体駐車場あたり。
すでに水位は2階まで届いていてその瞬間、浮き桟橋が駐車場2階に衝突。さらに漁船がぶつかる。
映像を見た瞬間一気に意識は現実に引き戻された。
「母がやばい・・・」
最初に脳裏に浮かんだ・・・・。
次週に続く
やまだ@仙台です。
今週火曜日に気仙沼出張に行った際、
同僚から「ゴットが食べたい」という注文が出たので
帰りに買って帰えることにしました。
田中前の「keiki 神山店」に行ってみたのですが
そちらはまだ片付け中で再開してなかったので
東新城の「keiki 新城店」に行ってみました。
こちらは津波の影響もなかった地域なので
大丈夫だったようです(^^
手づくりゴットも、
まだ数は少ないですが、販売しているとのこと。
販売再開も最近だったんですかね。
仙台でもファンの多い、手づくりゴット。
早く前の生産体制に戻るといいですね☆
パルポーさんや手づくりゴットについては
詳しくは↓のページをご覧ください!!
http://www.palpaw.co.jp/
雨男の疑惑をかけられている気楽会東京支部のアキヒロです。
コヤマ菓子店が復興の象徴となるお菓子として
「絆カステラ」が発売されました。
「絆」という文字を中心に
気仙沼に縁がある方からいただいたメッセージがパッケージされています。
メッセージをいただいた方々本当にありがとうございます。
テレビやブログ等で取り上げていただきました。
NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110530/k10013202601000.html
南三陸&気仙沼を体感!“来て見て浜ライン”
http://blog.goo.ne.jp/akazara_boy/e/93895e1615647376e288b24b94537737
津波によって、店舗、実家が全壊しました。
しかし、負けませんでした。
絆によって立ち上がる力をいただきました。
「負けてたまるか!」との想いがこのカステラに込められていると思います。
5月30日は大雨に暴風だったにも関わらず、100本完売しました。
買ってくださった皆様、本当にありがとうございます。
気仙沼出身の小山祐さん率いるラフィンノーズさんのメッセージもあります。
カステラを食べるなんて、高校生以来です。
ハチミツの匂いといいますか、上下の黒い部分(名前がわからなくてすみません)が
ほんとに懐かしい味でした。
小さい頃に食べていた味です。
コヤマ菓子店HP
http://koyama.shop-pro.jp/
店頭販売は8月くらい?までお休みだそうです。
量産体制が整い次第まだ販売されると思います。
現在はネット販売のみということですので、よろしかったらHPを見てください。
先行きはまだまだ不透明、不明確な部分はたくさんありますが、
明るいニュースが見えない部分に光を射して、徐々に見えていくことを願っています。
まだまだこれから!
共に歩みましょう、気仙沼復興への道を。
誕生日が大雨だったアキヒロでした。
コヤマ菓子店が復興の象徴となるお菓子として
「絆カステラ」が発売されました。
「絆」という文字を中心に
気仙沼に縁がある方からいただいたメッセージがパッケージされています。
メッセージをいただいた方々本当にありがとうございます。
テレビやブログ等で取り上げていただきました。
NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110530/k10013202601000.html
南三陸&気仙沼を体感!“来て見て浜ライン”
http://blog.goo.ne.jp/akazara_boy/e/93895e1615647376e288b24b94537737
津波によって、店舗、実家が全壊しました。
しかし、負けませんでした。
絆によって立ち上がる力をいただきました。
「負けてたまるか!」との想いがこのカステラに込められていると思います。
5月30日は大雨に暴風だったにも関わらず、100本完売しました。
買ってくださった皆様、本当にありがとうございます。
気仙沼出身の小山祐さん率いるラフィンノーズさんのメッセージもあります。
カステラを食べるなんて、高校生以来です。
ハチミツの匂いといいますか、上下の黒い部分(名前がわからなくてすみません)が
ほんとに懐かしい味でした。
小さい頃に食べていた味です。
コヤマ菓子店HP
http://koyama.shop-pro.jp/
店頭販売は8月くらい?までお休みだそうです。
量産体制が整い次第まだ販売されると思います。
現在はネット販売のみということですので、よろしかったらHPを見てください。
先行きはまだまだ不透明、不明確な部分はたくさんありますが、
明るいニュースが見えない部分に光を射して、徐々に見えていくことを願っています。
まだまだこれから!
共に歩みましょう、気仙沼復興への道を。
誕生日が大雨だったアキヒロでした。
やまだです。
以前、あべくんも書いていましたが、
被災した気仙沼市内の印刷会社5社が共同で、
「気仙沼復興印刷隊」という地元企業を支援する
フリーペーパーを発行しています。
河北新報へ折込みして市民に配布ということで
素晴らしい取組だなぁと思いつつも、
市外に住む僕らとしては見れなくてちょっと残念、
と思っていたのですが、友人のツイッター情報で
気仙沼復興印刷隊のブログがあることを知りました。
◎気仙沼復興印刷隊
http://abe0430.blog.ocn.ne.jp/blog/
正に、その折込みのフリーペーパーを
WEB上で、PDFダウンロードして読めちゃうんです!
市内の企業やお店の営業再開情報は
意外と市外にいる人も知りたい情報だったりするので
これはすっごく嬉しいですね。
発行される印刷隊の皆さんは大変でしょうが
ぜひ今後も継続していっていただけると
とってもありがたいなぁと思います。
がんばっぺし気仙沼!!
あべです。
先日は、唐桑にて、「からくわ放送局」さんの取材へおじゃましました。
「からくわ放送局」
www.karakuwa-ocean.org/
からくわ放送局さんは、唐桑町から情報発信を行うネット上の「放送局」です(5月11日開局!!)
設立の際のメッセージは、
「大きなメディアでは伝えられない小さな町の一人一人の思いを伝える独立メディア。人と人とをつなぐお手伝いをしていきます」
新聞やテレビでは、被災地の話題ということでたくさんの情報が流れますが、
こういった草の根のレベルでの情報発信も、非常にありがたく感じます。
特に、唐桑は独特な自然や文化があり、ファンも多い地域です。
「からくわ放送局」さん通して、震災後も変わらない唐桑の魅力を発信されることが楽しみです。
左でカメラを構えているのが、小野寺充太さん。
鹿折で学習塾「すくーるホライズン」さんを経営されていますが、ご存知のとおり大きく被災されました。
そのような大変な状況の中で、知人とからくわ放送局を立ちあげ、日々活動中ということです。勇気をいただけます。
また、ちょうどインタビューをうけていたのが、RQ市民災害救援センターという団体の阪野さん。
「RQ市民災害救援センター」
www.rq-center.net/
RQさんは、唐桑を拠点の一つとして支援活動をしている団体です。
お話を聞くまでは、おっかない人だちなのかなと思ってましたが、全くそんなことはなく、やさしい方たちですし、みなさん現地に溶け込む努力を惜しまなかったり、単なる物的な支援だけでなく、被災地の復興を親身になって考えてくれている感じがしました。
また機会があれば紹介しますね。
そして、取材場所が巨釜の「海岸亭」さんでしたので、
下の海岸まで少し足を伸ばしてみました。
霧がかかり幻想的な松林を切り開いていくと…
唐桑を代表する、「折石」がそびえていました。
明治29年の三陸大津波の際に先端が2m折れたために「折石」とよばれていますが、
今回の震災では無事に残りました。
荒波にも耐え続ける「折石」。復興の象徴です。
先日は、唐桑にて、「からくわ放送局」さんの取材へおじゃましました。
「からくわ放送局」
www.karakuwa-ocean.org/
からくわ放送局さんは、唐桑町から情報発信を行うネット上の「放送局」です(5月11日開局!!)
設立の際のメッセージは、
「大きなメディアでは伝えられない小さな町の一人一人の思いを伝える独立メディア。人と人とをつなぐお手伝いをしていきます」
新聞やテレビでは、被災地の話題ということでたくさんの情報が流れますが、
こういった草の根のレベルでの情報発信も、非常にありがたく感じます。
特に、唐桑は独特な自然や文化があり、ファンも多い地域です。
「からくわ放送局」さん通して、震災後も変わらない唐桑の魅力を発信されることが楽しみです。
左でカメラを構えているのが、小野寺充太さん。
鹿折で学習塾「すくーるホライズン」さんを経営されていますが、ご存知のとおり大きく被災されました。
そのような大変な状況の中で、知人とからくわ放送局を立ちあげ、日々活動中ということです。勇気をいただけます。
また、ちょうどインタビューをうけていたのが、RQ市民災害救援センターという団体の阪野さん。
「RQ市民災害救援センター」
www.rq-center.net/
RQさんは、唐桑を拠点の一つとして支援活動をしている団体です。
お話を聞くまでは、おっかない人だちなのかなと思ってましたが、全くそんなことはなく、やさしい方たちですし、みなさん現地に溶け込む努力を惜しまなかったり、単なる物的な支援だけでなく、被災地の復興を親身になって考えてくれている感じがしました。
また機会があれば紹介しますね。
そして、取材場所が巨釜の「海岸亭」さんでしたので、
下の海岸まで少し足を伸ばしてみました。
霧がかかり幻想的な松林を切り開いていくと…
唐桑を代表する、「折石」がそびえていました。
明治29年の三陸大津波の際に先端が2m折れたために「折石」とよばれていますが、
今回の震災では無事に残りました。
荒波にも耐え続ける「折石」。復興の象徴です。