第30回6月12日(日)参加者募集中です。
第30回「気楽会の観光案内課」
日時:2016年6月12日(日)9:00~16:00
集合場所:気仙沼市役所
参加費:2000円
お問い合わせはメールで
kesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp 主催:気楽会
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ども、R-1です。
5/23に津波で海岸の道路に乗り上げた漁船を海に戻す作業が始まったニュースが流れました。
このときに使用したクレーンてのが遠くからでもはっきり分かるくらいでかいクレーンで、アーム長が140m、最大で3000トンの船を吊り上げられるとの事。
普段は橋梁の架設や座礁したタンカーの引き揚げに使用されているのだそうな。
この日のニュースに出ていたのはフェリー乗り場近くのガソリンスタンド前に乗り上げていた漁船。
実際近くで見るとこれまたでかい船で、津波の威力がどれ程のものだったかを物語っていた。
ちなみにこの船の重さは800トン。うちの会社で製作する鉄骨の約1物件に相当します。
(気仙沼のイオンに使っている鉄骨と同じくらいの規模とイメージしてもらえば・・・)
あのクレーンでジャスコ吊れるんだと勝手に妄想してみた午後の昼下がりだったとさ・・・。
やまだです。
県の地方機関、気仙沼地方振興事務所の
スタッフの方が気仙沼のリアルタイムな情報を
毎日発信しているブログがありますよ~、というのは
以前ここでも書かせていただきました。
ただ、当然のことながら、
震災後はしばらくの間は更新できない状態が
続いていたのですが、ちょっと前からこちらのブログが
復活して更新されるようになりました!!
◎気仙沼・南三陸を体感!“来てみて浜ライン”
http://blog.goo.ne.jp/akazara_boy/
気仙沼を離れているものからすると、
現地で行われているイベントや出来事の様子が
感じられて、とてもよい情報源になっています。
また、震災時の津波や火事のリアルな様子、
建物からの避難の様子も詳しく書かれています。
こういうのは後に残せる貴重な記録だと思います。
スタッフの方も本業がとても大変なときだと思いますが
こうしてまめに発信してくださって、とても頭の下がる
思いでいっぱいです。(おつかれさまです!!)
まだ見ていなかった方はぜひチェックしてみてください☆
だんだんと気温も上がり、瓦礫の臭いもキツくなってきました。
車の窓を閉め、外気を遮断してエアコンを付けるのが日課になりました。
ヘリで瓦礫の多い地域へ、
大量のEMや有効物質を散布して欲しい今日この頃です。
現在自分は、伏見男山で依頼された仕事をしています。
男山さんではテレビや紙面の影響から、
毎日全国から沢山の注文や問い合わせが届きます。
社内で仕事をしていると、電話の多さに驚きます。いやマジ鳴りっぱなしなんです。
そのため年内の在庫確保から来年新酒へ向けての改善策が練られていますが、
早い段階で在庫が無くなる見通しのようです。 自分としても複雑です。
その伏見男山が、明日全国放送で生中継されます。
・放送局:NHK
・番組名:お元気ですか日本列島~震災に負けない
・放送時間:14:05~55
告知することで・・なのですが、
ぜひ被災地の蔵元の頑張る姿をご覧になって下さい。
創業130年の老舗である武山米店さんは、今回の震災で魚町の店舗が津波で被災。国の登録文化財にも指定されていた建物でしたが、残念ながら大きな被害を受けました。
そんな中、店内に奇跡的に残っていたのが、この時計。ケンジさんによると、明治33年の時計(ねじ式)で、大正、昭和初期の2回の気仙沼の大火をくぐり抜け、110年の時を刻んできた貴重な時計だそうです。
家族の皆さんも大切に守ってきたこの古時計。今回の地震があった午後2時46分で針は止まり、壊れてしまいましたが、「何とか修理できないか」と、ケンジさんが製造メーカーに問い合わせ、修理を依頼しているそうです。
復興への時を、もう一度刻んでほしい-。家族みなさんの願いです。針が動いた時には、自分もぜひ見に行きたいと思っています。
気温が上昇し、夏の足音が聞こえたと思いきや、、
夏を足踏みさせる梅雨がやってきた東京の空です。
日本は世界中から多くの支援を受けました。
ほんとにありがたいことです。
私が大好きな国、ドイツからも暖かい支援をいただきました。
恩返しの意味を込めまして
日比谷で開催されていたオクトバーフェストにいってきました。
「日比谷オクトバーフェスト」
このブログに載せることでドイツを身近に感じられる?
そういうことも恩返しの一つではないかと感じまして、
日本でドイツを身近に感じられるイベントに参加しました。
もちろん「おだづなよTシャツ」を着ています。
そしてドイツと言えば
やはり
ビールですね。
ドイツ語で美味しいは
「Lecker!」 『レッカー!』です。
ドイツ大使館の関係者とかがいたら話しかけようとしましたが、
すごく人が多くどうにも会うことができませんでした。
写真にはありませんが、本場のソーセージやジャーマンポテトを
食べました。
ドイツ料理は日本人に合う?そう思っているのは私だけ???
数多くの方から受けた支援、それを一つ一つ返すのもある意味楽しみの一つ。
まだまだ継続的に支援は必要だと思いますが、少しでもお返しができると
復興へ少し前に進んだ気がします。
支援から生まれた「絆」があります。
私はこの「絆」をより深くするための作戦を考え中です。
ちょっとおもしろくなりそうなので、何か発展しましたら、
火曜日毎に発表します。
乞うご期待です!
これは私の会社の机です。
「おだづなよ!!負けてたまるか 気仙沼」
自分を鼓舞したいときにこれを何度も読みます。
そうすると自然と元気が沸いてきます。
来週はもっと内容の濃い記事を書きます。
火曜日担当のアキヒロでした。
チュース!
やまだ@仙台です。
先日、ケータイからアップしていました、
東京で行われたセキュリテ被災地応援ファンドの
説明会の様子をお伝えします。
そもそも、この「セキュリテ被災地応援ファンド」は、
今回の震災により被災された地場の中小企業が
応援したい個人から小口出資を募って事業資金を集め、
それを活用して事業再建の一歩を踏み出そうというものです。
(ファンドの仕組みはミュージックセキュリティーズ社が提供)
この仕組みが立ち上がったのが4月25日。
河北新報や三陸新報、その他メディアでも色々と
取り上げているのでご存じの方も多いかと思いますが
最初の6事業者のうち4つが気仙沼の事業者さんなんですね。
(あと、2事業者は陸前高田と南三陸)
で、その初めての出資者向け説明会が
先週20日に東京・丸の内の新丸の内ビルで行われたんです。
新丸ビル10Fにある会場です。
まさに東京のど真ん中ってカンジでどきどきしますね。
会場には、聴講者として気仙沼関係の方々も
早々にお越しになっていました。
こちらは、おなじみ、リーさんです。
お母さんと一緒にご参加!(似てる!)
ファンドを立ち上げた事業者さんも続々と集結。
アンカーコーヒーのやっちさんに、
石渡商店・久師さんに、丸光食品・熊谷さん(ご夫妻)。
(斉吉商店・和枝さんは遅れて到着でした)
こうやって気仙沼のみなさんが丸の内に集合する、
というのはなんとも不思議なカンジがしますね。
マスコミの注目度も高く、
始まる前から、各社取材を受けていましたね。
そして、いよいよ19時半からスタート。
(会場もさすがオシャレです ^^)
見てください、この超満員。
説明会開催が決まったのが直前にも関わらず
120人くらいはゆうに参加されていました。
(後ろもびっしり立ち見でした)
応援ファンドへの関心の高さがうかがえますね。
それで、今回説明会に参加の4事業者の方から
それぞれプレゼンテーションをしていただき、
復興への思い・決意をお話しいただきました。
みなさんの真剣なる思いがビシビシ伝わってきて
何度も胸にグッと来る場面がありました。
会場の聴講者の方々も聞き入ってましたね。
それぞれの方のお話の概要は
こちらのブログに詳しいのでぜひご覧ください。
http://www.securite.jp/radio/?p=2955
各社からのプレゼンテーションは
予定を大幅に遅れて終了。
その後は、フリータイムということで、
聴講者の方々が各事業者さんに列をなして
挨拶などの行っていました。
メディアの方々の取材なども殺到でしたね。
僕が見ている限りでは気仙沼ゆかりの方もけっこう多く、
気仙沼出身です、とか、気仙沼で働いていました、とか、
気仙沼にボランティアに行ってました、とか、
そういう声も多く聞かれました。
震災に対して何かしたい、という方は本当に多いので
この応援ファンドというものが、全国の多くの方にとって
その思いの受け皿の一つになればいいですね。
また、この応援ファンドは、ただお金を出すだけでなく、
復興へ向けての5年とか10年とか長い時間にわたって、
事業者、そして、被災した地域とつながるということが
大事なポイントになります。
なので、全国の多くの人に、各事業者はもちろんですが
気仙沼をはじめとした被災した地域に関心を持ってもらえる
といいなぁと個人的には強く思います。
ということで、ぜひこの仕組みを
気仙沼の外に住む多くのお知り合いなどに
広めていただければと思いますので、
ぜひよろしくお願いします!!
(ファンドの事業者も今後たくさん増えていく予定です)
今週25日には仙台で同様に説明会が開催される予定です。
※詳しくはこちら(→リンク)
近所では、カエルがゲロゲロと鳴き、夏の訪れを感じます。
また、里山では田植えがおわり、緑がまぶしい季節になってきました。
ただ、暑くなってきたといっても、あの寒くて、生きることに必死だった3月を忘れることはありません。
記憶を整理する一方で、これからも明るい話題を提供して、楽しんでいきたいと思います。
さてと、今回は気仙沼発の帆布バッグのお話です。
「MAST 帆布 KESEN-NUMA」さん。
ご存知の方も多いかと思いますが、南町エースポート前にて、帆布のバッグや小物等を販売されているお店です。気仙沼の新しい魅力を発信するお店ということで、気楽会ブログでも何度か紹介したことがあります。
(2/27の記事「すがとよさん」と「MASTさん」 /Entry/2145/)
そのMASTさん。震災後も元気で活動しているというお話は耳にするものの、
連絡もとれず、直接お会いすることができずで、すこし気になっていました。
実は私は、ちょうどエースポート前で地震に逢い(その前はサンドのお二人とすれ違いました)、MASTのオーナーの宍戸さんと「気をつけていきましょう」と話しながら、避難したのでした。
というわけで、先日は(ご迷惑にも)MASTさんの作業場へおじゃましました。
↑↑こちらが、MASTさんの作業場!!
以前のお店の雰囲気と変わらず、宍戸さんもお元気なようでした。
現在はご実家がある鹿折にて、製作作業を続けているということで、安心しました。
まだ店舗を構えるには至ってませんが、東京などでのイベントの際に出品したりと、
ご活躍されているようでした。
今回お話を伺ってみて、すばらしく感じたことがありました。
それは、地域の雇用を生みながら、仕事を再開しているということ。
震災前は、宍戸さんお一人でのお仕事が多かったようですが、
今では力を合わせながら、フル稼働で動いているようです。
(写真のほかにも、もっと働いている方がいらっしゃるんですよー)
今後の展開のお話も伺いましたが、地域が元気になるような、おもしろいお話ばかりでした!!
まだまだ市内は落ち着かない状況ではありますが、歩きだすお店のニュースからは元気を頂けます。
MASTさんの活動は、またお伝えしたいと思います!
・「気仙沼手提げバック」
・「気仙沼前掛け」
お久しぶりになります。
佐藤です。
今回の震災により、被災されたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。
私も、その1人であり、少しばかりお話しさせていただきます。
避難所生活も2ヶ月が過ぎました。
“もう”なのか、“まだ”なのか…、どちらとも言えません。祖母の遺体は確認しましたが、母は依然として行方不明のまま、だから。
私が住む階上地区の杉の下は、震災で近くのお伊勢浜海水浴場に、15M前後の津波が来襲。約85世帯がほぼ全壊し、死者・行方不明者は住民の約3割の91人に上ります。
3月11日、14時46分地震発生。
大津波警報により、避難場所に集まった人たちは、引き波により、ほぼ流されてしまいました。奇跡的に助かった方々の話を伺うと、椿の木につかまったとか、流れてきた木にしがみついた、避難場所の近くにあった倉庫と一緒に流され、咄嗟に「このままではいけない」との判断で、屋根に上がり、泳いで助かった方も…。
近所のおばちゃんも、木に引っ掛かって助かったけど、波にのまれた時は「もうだめだ…」と思ったと。壮絶な現実が、そこにありました。
私は、仕事中だったため、勤務先で避難していました。
今居る避難所は、同じ集落の方々と。
避難所の1日は、
6:30→ラジオ体操
7:00→朝食
17:30→夕食
21:30→消灯(門限は22:00)というスケジュールです。他に当番制で、トイレ掃除(男性)、炊事(女性)などがあり、班ごとに分かれて、3日に1回当番がまわってきます。いただいた食材でメニュー決めを行うのは、さすが!料理人のみなさま☆☆頭の下がる思いです。
先月、避難所近くの畑に、津波にのまれながらも生き延びた野菜や花を、避難する住民有志の方々で植えました。
亡くなった家族らの弔い花として、自身の手で育てた花を供えたい…と。
頼れる自治会長のリーダーシップのもと、協力し合い命を繋いだ1ヶ月、自立への道を進みはじめた2ヶ月と過ごしてきました。
強く、明るく、笑いもありながら一つの大家族で生活しています。
震災当日。
命がある、それだけでよかった。生きてさえいれば、あとはどうにでもできる、と。
【生かされた命】
多くの方々からの支援、さまざまな協力があってこそ、この命があるんだなと。
本当に、心から…。
心を込めて、《ありがとう》の感謝の気持ちでいっぱいです。
ただ…。
大事なのは、人命で。
母の手作りいちごジャムを一枚のパンに塗って、半分こにして食べていた何気ない時が愛おしく感じます。もう食べられないのかな…。
添付した画像は、1枚は、うちの避難場所(最近、撮影したもの)。
以前はバス停として利用していました。
電柱の先端が折れていて、津波の高さや、波がきた方向がわかります。
…でも、ごめんなさい。
この場所は、避難場所といえるのでしょうか?
もう1枚は、震災翌日のもの。
家の様子を見に行ったら、驚いたことに、2階部分がひっくり返した形で残っていました。
後日、瓦礫の中から生きるために必要なものを取り出すことができました(兄からは、たくましいな!と一言。う~ん、嫁の貰い手がないですね、これじゃあ(笑))。
このように残っていたのは、きっと、母が守ってくれたのでしょうね。
この画像の左側奥の方に、向洋高校が写ってます。
それから、右側の水たまりは、以前は田んぼでしたが、堤防が壊れて、流れてきた海水が引けずにあります。
もう1枚は、5/17、早朝。大分県別府市に駐屯する第41普通科連隊の帰還にて。命を支えてくださった、耳を傾けて捜索してくださった自衛隊のみなさま。
国道にみんなで並んで、大漁旗、お手製のミニ国旗、横断幕とともに、「ありがとうございました~」の大声を張り上げて、笑顔でお見送り。
「がんばってください」と励ましの声をいただいたり、敬礼されたり。涙ぐむ自衛隊さんもおりました。
みなさんが守ってくださった気仙沼。
まだまだ、多くの方々の手が必要だけれど、復興への道は自らが動いていくこと!と思いました。
どんな状況であっても、このままでは終わりません。不安に押しつぶされそうになっても、絶望で埋めつくされることはなかった。
震災当日、ライフラインがストップしたときに比べれば、微力ながらも、少しずつ進んでいます。
だから、必ず気仙沼は復興します(^-^)
みんなと手と手を取り合いながら、一歩ずつ前に。
『共助』の精神で。