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気楽会の観光案内課 



第30回6月12日(日)参加者募集中です。

第30回「気楽会の観光案内課」
日時:2016年6月12日(日)9:00~16:00
集合場所:気仙沼市役所
参加費:2000円

お問い合わせはメールで
↓↓↓↓

kesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp 主催:気楽会
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TKです。


最近になり、ようやく安定して暖かくなってきました。
1ヶ月前はまだ被災地では雪が降っていたりして、寒さに打ち拉がれていただけに、大分過ごしやすい気温になりました。


この春の暖かい陽気とともに、気楽会が立ち上がってくれましたね。


気楽会が一昨日、全国から来たボランティアさんに振る舞った気仙沼ホルモンの話ですが、実際気仙沼ホルモンを食べた人のブログを見ると、非常に好意的受け止められてました。

自分らが大変なこの時に、わざわざ気仙沼ホルモンを振る舞ってくれた事に感動し、逆に勇気をもらったと感謝の気持ちを述べられてました。

一方で今回の報道でボランティアさんが普段はいつも、カップラーメンや缶詰めといった非常食を食べて生活している事がわかりました。

本当に身を削ってボランティアされてるんですよね。無休で自己犠牲精神で日々当たり前のように人助けに精を出すボランティアの方には、人として尊敬の念と感謝の気持ちで一杯です。


今回、その普段多大にお世話になってるボランティアの方々に気仙沼ホルモンを振る舞った訳ですが、被災地の中でもこういう活動は初めての試みではないでしょうか。

自分も毎日のようにテレビや新聞で震災に関する話題に目を通してますが、震災以来、ボランティアの人へのお礼の気持ちを形にして表したのは、聞いた事がありません。

被災された地域の方は皆、自分の事で手一杯で、ボランティアされてる方へのお礼は感謝の気持ちを述べるのが精一杯です。

そんな中で先陣を切って、お礼を形にしてくれたのは、気仙沼人として誇らしいと思いました。


先日、あるアメリカ軍兵士が今回の震災で任務を終了し、被災地から離れる時、「東北の人はどんな過酷な状況でも、規律を守り、精神的に取り乱さず、我慢強く、いちいち我々の行動に申し訳なさそうに感謝してくれた。その東北人の美徳に感動した」と述べられてましたが、今回の気楽会の行動は、そんな東北人の美徳を象徴するような行動だったと思います。


今、全世界から、被災された東北人の行動が注目を集めています。その中で、今のところ僕が知る限りでは、今述べたアメリカの兵士の言葉に代表されるように全世界が、我慢強く一人一人手を取り合い、震災に立ち向かおうとする東北人の姿に賞賛と驚きの声をあげています。よく日本人は世界から礼儀正しく、勤勉で心が温かいと評される事が多いですが、僕は日本の中でも東北人こそが最もその評価にあてはまる人種だと思っています。

東北人、気仙沼人は偉大で強いんです!


なんか今日のブログは、身内を褒めてしまう形になりましたが、今回は僕自身今回のプロジェクトに何ら協力してませんし、東京から一気仙沼人として遠目から見たとき、素直に気楽会に感謝したくなりました。



因みに、今回の活動について翌朝のあらゆる新聞をチェックしましたが、取り上げてくれた新聞は皆無でした。
やはり全国紙になるとなかなか記事として扱ってくれないですね。

しかし、夕方、毎日愛読している「日付以外は全て誤報」で知られる東京スポーツ新聞(東スポ)を買ったら、気楽会の記事が載ってました!!

何気に東京スポーツは、スポーツ新聞の中では、一番の発行部数を誇る(因みに東スポは130万部で、日刊スポーツはおよそ100万部)、日本一のメジャースポーツ新聞です(全然そう思えませんが)。
記事的には小さいですが、一番期待してなかった東スポが取り上げてくれたのが個人的に凄く嬉しかったです



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かずきです。気楽会にとって、きのう4月17日は記念すべき日となりました。気仙沼の復興に向けて、地元の若者たちがいよいよ立ち上がりました!

震災後、全国から気仙沼に来ていただいているボランティアの皆さんに感謝の気持ちを-と、復活第1弾イベントとして「気仙沼ホルモンでありがとう」を企画しました。

東新城の「すこやか」は気仙沼での震災ボランティアの拠点施設になっていて、医療や福祉など、各分野で多くの皆さんが連日、昼夜にわたり活動されています。気仙沼の復旧、さらには復興に向けた大きな力となっていただいています。

そうしたボランティアの皆さんに、地元を代表して感謝の気持ちを伝えたいと、気楽会ではご当地グルメ・気仙沼ホルモンの振る舞いを考えました。自分たちに今できることをしよう-。地元の若者が復興に向けて動き出すきっかけにしたいと、準備を進めてきました。

昨日はメンバー15人が集結。「すこやか」の敷地内(屋外)に特設テントを設置しました。さすがは数々のホルモン屋台を経験してきたスタッフたち。打ち合わせ一切なく、それぞれの持ち場に着いて素早く準備。あっという間に屋台が出来上がりました!チームワークは、健在でした。


マックスが、津波の泥の中から奇跡的に見つけた「気仙沼ホルモン」ののれんも復活!のれんは、気楽会が4年前に初めてホルモン屋台をみなとまつり(仲町大通り)で出店した際、スタッフみんなで制作したもの。気楽会の家宝ともいうべき一品です。のれんには、気楽会の思い出や携わってきた人たちの汗と涙、笑顔がたくさん詰まってます。

お昼の休憩時間に合わせて焼き方開始。ホルモンは、今回の震災で幸い、店舗が無事だった3店の精肉店からご協力いただきました。

市内の精肉店は、9店舗中6店舗が被災されました。気楽会の活動を、いつも温かく応援していただいたお店ばかりだけに、震災直後、自分たちも大きなショックを受けました。今回のイベントには、これまでの感謝の気持ちとともに、復興に向けた願いも込めました。

ボランティアスタッフの皆さんにも喜んで食べていただき、本当嬉しかったです。気楽会メンバーも「お疲れ様です」などと声をかけながら、全国のスタッフの皆さんと交流も深めることができました。

こうして、かけがえのない仲間とともに、気楽会として再び活動ができたことは、自分にとっても大きな励みとなりました。小さな一歩かもしれないけど、とにかくみんなで動き出せたことが、何より大事だったと思います。

今回のイベントに際し、ご協力いただいた皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました!

これきっかけに、気仙沼の復興のため、自分たち若者にできることを常に考えながら、気楽会としてお手伝いしていければと思っています。今後とも皆さんの応援よろしくお願いします





気楽会東京支部のアキヒロです。

気仙沼では気楽会の代名詞でもある『気仙沼ホルモン』を気仙沼にボランティアに来てくださっているスタッフさんに振る舞っているみたいですね。
気楽会の再始動がとても嬉しいです。


話は変わりますが、私がいつもカットしてもらっているのは『かっぽぐった』という小平市にあるお店です。

『かっぽぐった』の言葉からわかるように店長さんは気仙沼の鹿折出身です。
店長の吉田慎之助さんは気高で野球部でした。
いつも気仙沼のことばかり話していて、あがらいでバーにも参加されたことがあります☆

そして方言を店名にするくらいの郷土愛に溢れている方です。
震災後はすぐに気仙沼に向かい、救援物資を運びました。先週は仲間を引き連れ再び気仙沼には帰り、ボランティアカットをされました。
思ったことをすぐに行動に移す実行力はほんとすごいです。
土曜日にカットに行った際ももちろん気仙沼について話しました。
帰省したときに鹿折方面には行けなかったので改めて状況を聞くことが出来ました。

気楽会Tシャツをお店のどこかに飾ってほしいと依頼したら快く了承してくださいました。
「かっぽぐった」のブログを見てください。
想いは一つです。

東京在住の気仙沼っ子は是非カットに是非訪れてください。

お店には救援物資が堆く積まれていました。 GWにも再び気仙沼にボランティアカットに行く予定でボランティアを募集していました。詳しくはカッポグッタまで。


外を歩いていたら舞い散る桜と共に風に乗って、懐かしい匂いがした。気仙沼からホルモンの焼けた匂いがここまで辿り着いた。味噌にんにくの効いた、変わらない匂いが東京まで確かに届いた。



やまだです。

気仙沼関係の方に朗報です!!


気仙沼市内のアンカーコーヒー2店舗は残念ながら
震災により営業できない状態になってしまいましたが
気仙沼市外のフルセイルコーヒー3店舗は無事です!
(厳密に言うと、無事ではなかったでしょうが ^^;)


気仙沼に近いフルセイルコーヒー岩手川崎店は
今週14日にようやく営業再開することができたそうです!









僕も昨日、気仙沼に行ってきたので
その帰りにさっそく立ち寄ってきましたよ!!

変わりないその姿にホッとしましたね。

また、川崎店では、元気に働いている気仙沼2店舗の
クルーさんたちに会うことができます☆


コーヒーやラテなどドリンク類はもちろんですが





ソーセージサンドなどのフード類も食べることができます!
(タルタルソースなど期間限定の新テイストも☆)


ご自宅用のコーヒーも!



お得な飲み比べセットも販売されていました。


また、今なら「ブログを見ました!」で



ラテアートを作ってくれちゃいます☆
「アンカーコーヒークルー日記」より


気仙沼のみなさんももちろんですが
実家への帰省などで市外から気仙沼を訪ねる方も
その行き帰りにお立ち寄りください!!
(営業時間は9~17時です)



クルーのみなさんが笑顔で迎えてくれますYO!(^^)v


※フルセイルコーヒー岩手川崎店の雰囲気はこちら
 http://yamada.da-te.jp/e348602.html

※フルセイルコーヒー岩手川崎店の場所はこちら
 http://alike.jp/restaurant/target_top/1083092/


昨日お会いしたクルーの千葉さんは
「ブログをがんばって更新します」と宣言されていたので
こちらのブログもちょくちょくチェックしてみてくださいね!
「アンカーコーヒー クルー日記」





TKです。

今日は、夜突発的な用事が入って時間がないので手短になってしまいます。

本当は、ブログ事態はほぼ書き終えてあとは送信するのみだったんですが、携帯の3の番号を連打するつもりが間違って電話を切るボタンを連打してしまい、文章が消えてしまいました。


長文を携帯で打った後、文章が消してしまうってかなりショックを受けます。


で、本来書こうとした事を変更して、ちょっとした嬉しい報告事を。


ご存知の方もいると思いますが、コヤマ菓子店がなんと早くも営業再開します!
今回の震災で、店と家を無くしてしまい、しばらく営業は不可能と思われたコヤマ菓子店が震災から1ヶ月余りで不死鳥のごとく復活です。

もちろん、店舗は持ってませんが、気仙沼駅前の「とらや」さんの工場を借りて、ケーキを作れるようになりました。


そして、早速昨日から注文を承ってるようです。


いやぁ、なんか自分の事のように嬉しいです。


この調子でどんどん営業再開する店が増えて欲しいです。

今回のブログは取り急ぎ報告まで!


SPアキヒロ!ネタ奪って御免ね。本当今日は時間がないんで許しておくれ。


気楽会東京支部のアキヒロです。

以前、「世界からのメッセージ」という題で気仙沼出身でドイツで画家の修行をされている小野寺綾さんを紹介させていただきました。
気楽会日記を通じて、小野寺さんの想いと世界中が日本を応援しているということを伝えさせていただきましたが、海外にはまだまだ日本、気仙沼を応援している方がいらっしゃいました。

その方は小野寺さんと同じくドイツ在住の「クーゲレ彩」さんです。
クーゲレ彩さんは気仙沼との関わりは一切ありません。
震災後に小野寺さんと出会い、気仙沼の事情を知るとチャリティーコンサートを開き、気仙沼に義援金を送金してくださったそうです。
ほんとに世界中が応援しています。
気楽会日記を通じて、一人でも多くの方に伝わってほしいです。
遠くの場所にいても、その場所で自分ができることをして、応援している方はたくさんいます。想いは一つです。

そのクーゲレ彩さんからの気仙沼へのメッセージとその時のチャリティーコンサートの写真をいただきました。

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気仙沼市民の皆様、その他各地の被災者の方々に、ドイツのライプツィヒ市より、まずは心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
今回の震災で、皆さんが受けた恐怖と心の痛みは、私達が察するなどと表現してはいいものではないと思っています。


それでも、私たち海外に身をおく、在外日本人にとって、今回の震災は心の打ちのめされる現実でした。その場にいて苦しみを分かち合えないもどかしさは、さらに私たちを苦しめる事となっていました。
私たちがここでできる事は何か・・・できる事はあるのか・・・何をすべきなのか・・・考え続けて一週間が経ち、まず最初に私たちがした事は、義援金受付口座を記したビラを、ライプツィヒの街の人に配る事でした。多くの人は、どこに一体送れば確実に現地に届くのかがわからず、戸惑っていただけに、この情報提供は、温かく受け入れられ、中には頭を深々と下げて、「日本人の毅然とした態度に敬意を表したい、心からお見舞い申し上げたい」と言ってくれる人もいました。


かつて数多くの大作曲家が過ごした音楽の街、ライプツィヒで音楽を学び、現在は音楽大学の非常勤講師として、そして子供にピアノを教えるピアノ教師として従事する私には、数え切れないほどの音楽仲間が存在します。そんな仲間が、私の声に応えて100人以上集まり、わずか10日ほどの準備期間で行われたのが、3月31日のチャリティコンサートでした。


そこから一週間ほど遡った頃、私は気仙沼出身の芸術家で、ベルリンにアトリエをお持ちの小野寺綾さんとコンタクトを持ちました。
集める義援金を、何とか早く、直接被災者の方々の手に届く所に送れないかと、色々模索中だった私は、綾さんとのやり取りの中で、気仙沼を応援、支援したい気持ちが日々強くなっていきました。そこで、私はこのチャリティコンサートで集まった義援金の3分の1を独日協会に託し、残り3分の2を気仙沼に送ることに決めたのでした。


当日は、3つの合唱団とソリストを合わせた100人の演奏家、400人の観客を集め、日本人とドイツ人が混ざって、司会者・演奏者・観客の心が一つになった、とてもいいコンサートとなりました。教会に響き渡るコーラスの歌声、オルガンの音、その他楽器の音、司会者の話、どれもが心のこもった素晴らしいものでした。
そしてその日、私たちは、3800ユーロ(およそ45万円)の義援金を集める事ができたのでした。
その内1200ユーロを独日協会へ、残りの2600ユーロを気仙沼へ送る分としました。


さらに、ライプツィヒから車で1時間半ほどの所で行われた、ザクセン州選抜コーラスによるチャリティコンサートで集まった500ユーロ、個人的に知人・親戚から預かった義援金530ユーロを合わせると、3630ユーロ(およそ44万円)が近日中に気仙沼の口座に送金できる予定です。


これらが必要な分のごく一部でも、皆さんの元気の基に使われれば幸いです。


一つお願いがあります。
復興に5年から10年かかるといわれていますが、息の長い支援を続けていく為にも、皆さんが受け取った元気を私たちの方に知らせてはいただけないでしょうか。そうしたキャッチボールが、これからの私たちの励みにもなります。そして今回支援してくれた、ドイツ人の仲間達にも新たなモチベーションとなって、次へのチャリティーコンサートへつなげることが出来るのです。この大変な中、今はそんな時間も余裕もないことは分かっています。ただ、もう少し落ち着いてきた頃に、何か一言お知らせをいただけたら、また、皆さんの元気な様子を写真でいただけたら、私たちにとってこんなに嬉しい事はありません。


それでは、皆さんが、大人も子供も心から笑顔になれる日が、きっと来る事を信じて、「冬は必ず春になる」事を信じて、ドイツから応援・支援しています。一緒に一歩一歩進んでいきましょう。


ご不便な生活がまだまだ続くと思われますが、皆さんお体を大切になさってください。


桜の花が皆さんの心の安らぎになりますように・・・
4月8日
ライプツィヒ音楽家、及び日本人会代表、クーゲレ彩

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その時の写真です。

①コーラス演奏


②演奏会幕開け。オルガン伴奏で日本人も何人か参加して90人以上の大合唱


③演奏会の終わりに、演奏者達への感謝の意味を込めて、折鶴を一人ひとりにプレゼントしました。(ちなみに観客の皆さんにも、義援金のお礼に出口で折鶴を渡しました。)



クーゲレ彩さん、本当にありがとうございました。

これを読んで元気にならない方はいないと思います。
世界中が応援しています。
今度は私たちがお返しする番です。
ドイツの方々から受け取った元気を倍にして送り返して、
キャッチボールを続けていきましょう。



やまだです。


気仙沼の知人からの情報提供です。

本日13日、気仙沼西高校にて、
下記のとおり「復興青空市」を開催するそうです。

これは、全国から送られてきた支援物資(衣料品)を
自由に選んで無料で受け取ることができるイベントです。

今回初めて試みで、PRなど協力してほしいとのことなので
皆さんの周りで必要そうな方に教えていただいたり、
ブログやツィッターで告知協力していただけるよう、
どうぞよろしくお願いします!!
(13日だけでなく、16、17日も開催するそうです)

衣料品の支援物資は、仕分けや届ける方法が難しいようですが
この仕組みであれば、ミスマッチなく、必要な人に必要な衣類が
届くことが期待できますね。



≪気仙沼市災害支援品「復興青空市」の開催について≫

被災者や一般市民が直接支援品(衣料)を無料で選ぶことが出来る
「復興青空市」を開催します!

■開催日時 4月13日(水)、16日(土)、17日(日)
        10:30~14:00 ※雨天中止

■場所   気仙沼西高等学校 校庭
      (駐車場 西高校庭70台)

■対象者  気仙沼市民

■配布物  支援衣料品

■配布方法 校庭にブルーシートを敷き、衣類を展示し、
       入場者一人につきビニール袋1枚を配布して、
       来場者に直接選んでもらいます。





TKです。

今日二度目のブログアップです。

気仙沼の皆さんに早くお伝えしたい事が出てきたので報告させて頂きます。


気仙沼から遠く離れた東京で、個人では故郷気仙沼の為に何もしてやれず、無力である自分を責め、悶々とした日々を過ごす気仙沼出身者。


そこで、先日、一人では無力でも、多くの人が集まれば、何かできるんじゃないかということで東京にいる気仙沼人メンバーを中心として気仙沼復興支援サイト「RE:US気仙沼」が立ち上がりました。


そして、先週土曜日、その趣旨に賛同した方々の一部(総勢50人)が集まって、気仙沼を少しでも元気づけようとある企画が行われました。


物的支援も大切だが、他に何かやる事はないか。


復興を目指すにも気持ちが元気でなければいけません。
ならば、微力ながらも気仙沼の人の精神的支援につながる事をしたい。


そこで、考えついたのは自分達の今の想いを歌を通して、故郷気仙沼の人に伝えるという事でした。



遠く離れていても、私達の心は常に故郷にあるという想いを込めて、歌わせて頂きました。

どうぞ聞いて下さい!






勿論、これが気仙沼の為に直接的な支援に結びつくとは考えてはいませんが、この想いが一人でも多くの気仙沼人の心に伝わり、少しでも気持ちが和らぎ、前向きな気持ちになってくれたらありがたいです。

We are with you!re:us kesennuma!!
(気仙沼のみんな!あだし達、俺だちは常にいっしょだよ!皆でもう一度気仙沼を復興させようよ!)


(因みに、あたかも自分が参加した様に偉そうに書いてきましたが、自分は都合がつかず参加してません。すいません)


TKです。

震災からちょうど1ヶ月が経ちました。


この1ヶ月を振り返って見ると、自分は長く感じた様に思えます。
いつもなら、1ヶ月経つのがあっという間に感じますが、この1ヶ月は不思議に長く感じられました。


被災者の方々はどう感じてるのでしょう。


人によってはこの1ヶ月はあっという間だったと思われてる方もいるでしょう。

人によって時の経つのが早く感じられたり、遅く感じられたり、この違いはどこから生じるんでしょう。


これは、子供と大人の時間の感じ方の差と似てるかもしれません。


確か、自分が子供の頃は時間が経つのがやたら遅かったような気がします。
一日、一年経つのが長く感じてました。
だから、小学校卒業するのに、かなり長く感じたような気がします。


しかし、だんだん成長して歳を取ると一年一年があっという間に過ぎてしまい、時間が短くなっている様な気がします。
この感覚なら、小学校の6年間なんてあっという間だったでしょう。


子供の頃と大人でなぜこんな時間に対する感じ方が生じるんでしょう。


恐らく、子供の時は好奇心が大旺であらゆる物事が未体験でいちいち新鮮に感じられ、時間に重みがあったんだと思います。


一方で大人になると大概の事は経験してしまい、いちいち驚いたり感動する事がなくなってしまうから、時間の重みがなくなり、時があっという間に過ぎるのではないでしょうか。


この考え方でいくと、この1ヶ月の時の経過が遅く感じるのも説明がつきます。

テレビで毎日見る信じられない被災地の惨状は、今まで生きてきた中でも、とても衝撃的かつショッキングであり、人の死に悲しんだり、一方で人の善意に感動を覚えたりと大いに、感情が刺激されました。


つまり、この1ヶ月で見聞きしたものは自分にとって全てが未知の出来事だったからこそ、1ヶ月が長く感じられたのだと思います。


恐らく、今、時が長く感じている現状から、次第に、時間の経過とともに時が短く感じる大人モードに切り替わっていくのでしょう。


しかし、それは、今回の震災が珍しいものではなくなり、この震災から人の意識が徐々に遠ざかっていく事を意味します。



阪神淡路大震災の時も、半年ぐらい経つと報道される事も少なくなり、募金活動、チャリティーイベントも減っていったと聞きます。
まだ、街が全然、復興してないにもかかわらず、、。


今回の大津波による被災規模は阪神淡路大震災の更に何倍も大きいだけに、半年程度で人の記憶から遠ざけられてしまうのはたまったものじゃありません。



だからこそ、気仙沼と密接に関係のある僕らは、世間に気仙沼の被害、惨状を訴え続ける努力もしなければいけないと思ってますし、それが使命だと思ってます。


時が経ち、いつもの日常を取り戻すにつれ、時が短く感じる大人のモードになるのは仕方ないですが、今回の戦後最大ともいえる災害だけは、多くの人の心に深く刻み、忘れないようにしてもらいたいものです。
 



あべです。


3月11日から1か月がたちました。
あの日以来、どうにも心の整理がつかず、
言葉を失う場面が続きました。
少しでも気仙沼の現状が伝わればと思い、現地から写真を紹介します。


0323_minamieki.jpg
3月23日気仙沼線南気仙沼駅。

0313_tadakoshi.jpg
3月13日唐桑町只越地区


0318_shishiorieki2.jpg
3月18日鹿折地区①

0317_shishiorieki.jpg
3月17日鹿折地区②

0323_kashizaki.jpg
3月23日港町(柏崎プラザ前)

0325_takeyama.jpg
3月25日魚町武山米店様。



多くの尊い命が失われたこと、心からご冥福をお祈りします。
また、被災地では今なお行方不明となっている方がおります。
今後も捜索活動が進むことを願います。


そして、愛する地域が復活するために、
世界中の「わげすたづ」が一生懸命働いています。

みんなの力を合わせ、一歩一歩進んでいきましょう。



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