気楽会の観光案内課
第30回6月12日(日)参加者募集中です。
第30回「気楽会の観光案内課」
日時:2016年6月12日(日)9:00~16:00
集合場所:気仙沼市役所
参加費:2000円
お問い合わせはメールで
kesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp 主催:気楽会
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・いやがらせ、悪口、脅しなど、当団体・個人等を野次ったり、傷つけたりする目的で利用すること
・その他、管理者側から見て不適切だと判断する書込み ご協力お願いします。
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かずきです。あの震災から今日で一ヶ月。本当いろいろな事がたくさんありすぎて、簡単に振り返ることができないくらい、毎日いろいろな「変化」の中で暮らしてきた1ヶ月間でした。もう一ヶ月、まだ一ヶ月、複雑な心境です。
連日、このブログを日々交代で書き続けてくれた東京支部のTKさん、アキヒロ、そして仙台の山ちゃん。3人の気仙沼を思う熱い気持ちと激励に、地元にいる気楽会のみんなはどれだけ励まされたことでしょう。本当ありがとう!
そして、コメント等を通じて多くの皆さんからの温かいメッセージ、どんどん広がる支援の輪に、どれだけ救われたことでしょう。人は一人では生きていけない、みんながいるありがたさ-。感謝せずにはいられません。本当にありがとうございます!
震災から1ヶ月を前にした昨日の日曜日、気楽会に関わってきた地元メンバーが久々に「あの場所」に集結しました。そう、毎週集まっていた僕らにとって大切だった場所。こやま山荘です。
気楽会が『再出発』するうえで、どうしても、この場所にまたみんなで集まっておきたかった-っていう思いが、個人的にも、とてもありました。これまで、ともに活動してきた馴染みのメンバーに加え、久しぶりに顔を合わせた人、そして初めて来ました-という人も合わせて15人ほどが集まってきてくれました。
津波によって跡形もない、あまりに変わってしまった周囲の風景。初めて見た人にとってはショックも大きかったと思います。僕も現地に足を運んだのは今回で3回目。がれきは撤去され、だいぶ道路は通れるようになっていた半面、津波による流出で道をふさいでいたコヤマのお店は、完全に取り壊されてしまい、原形さえありませんでした。
みなとまつりでのホルモン屋台や七夕飾り等、、仲町大通りには5年前の発足当時からお世話になりました。気楽会はもちろん、自分もこの場所でたくさんの事を学び、育ててもらいました。
再びこの場にみんなで集まって思ったこと、それはこれまでの感謝の気持ちと、復興に向けた『決意』です。しっかりと今の景色を、この目に焼き付けてきました。
さて、せっかくみんな集まったということで、マックスのもとに届いた善意の救援物資(なんと、ハワイから届いたものも!)をみんなで分けました。その中には、昨日のブログでも紹介していた気楽会東京支部・アキヒロが贈ってくれた新・気楽会Tシャツも!
『一人じゃない 仲間がいる』『頑張ろう気仙沼』
Tシャツに書かれていた言葉です。さっそく全員でこのTシャツを着用!久々に、気楽会らしい一体感が生まれました。本当嬉しかった!アキヒロ、ありがとう!!
このあとは、海の市の屋上に場所を移して、みんなで今後の活動方針や復興に向け、自分たちに何ができるか-など、それぞれの考えや思いを話し合いました。久々に、気楽会らしい語り合う時間が共有できて良かったです。そして、さっそくですが、気楽会の復活第1弾イベントも決定しました!詳細が決まり次第紹介します。
みんな、それぞれつらい思いをしてきましたが、視線は少しずつ『前』を見ようとしています。ようやく、立ち上がれる気がしています。それも仲間がいるからこそ。一歩ずつですが、今度は若い自分たちが、支援していただいた方々や困っている人たちに微力ながら何かをしていく番ではないかと感じてます。
気仙沼の復興へ。気楽会の新たなチャレンジが始まります!ブログでもできる限り、被災地の今の状況や復興に向けた動きを発信していければと思います。これまで同様、皆さんの温かい応援をどうぞよろしくお願いします!
連日、このブログを日々交代で書き続けてくれた東京支部のTKさん、アキヒロ、そして仙台の山ちゃん。3人の気仙沼を思う熱い気持ちと激励に、地元にいる気楽会のみんなはどれだけ励まされたことでしょう。本当ありがとう!
そして、コメント等を通じて多くの皆さんからの温かいメッセージ、どんどん広がる支援の輪に、どれだけ救われたことでしょう。人は一人では生きていけない、みんながいるありがたさ-。感謝せずにはいられません。本当にありがとうございます!
震災から1ヶ月を前にした昨日の日曜日、気楽会に関わってきた地元メンバーが久々に「あの場所」に集結しました。そう、毎週集まっていた僕らにとって大切だった場所。こやま山荘です。
気楽会が『再出発』するうえで、どうしても、この場所にまたみんなで集まっておきたかった-っていう思いが、個人的にも、とてもありました。これまで、ともに活動してきた馴染みのメンバーに加え、久しぶりに顔を合わせた人、そして初めて来ました-という人も合わせて15人ほどが集まってきてくれました。
津波によって跡形もない、あまりに変わってしまった周囲の風景。初めて見た人にとってはショックも大きかったと思います。僕も現地に足を運んだのは今回で3回目。がれきは撤去され、だいぶ道路は通れるようになっていた半面、津波による流出で道をふさいでいたコヤマのお店は、完全に取り壊されてしまい、原形さえありませんでした。
みなとまつりでのホルモン屋台や七夕飾り等、、仲町大通りには5年前の発足当時からお世話になりました。気楽会はもちろん、自分もこの場所でたくさんの事を学び、育ててもらいました。
再びこの場にみんなで集まって思ったこと、それはこれまでの感謝の気持ちと、復興に向けた『決意』です。しっかりと今の景色を、この目に焼き付けてきました。
さて、せっかくみんな集まったということで、マックスのもとに届いた善意の救援物資(なんと、ハワイから届いたものも!)をみんなで分けました。その中には、昨日のブログでも紹介していた気楽会東京支部・アキヒロが贈ってくれた新・気楽会Tシャツも!
『一人じゃない 仲間がいる』『頑張ろう気仙沼』
Tシャツに書かれていた言葉です。さっそく全員でこのTシャツを着用!久々に、気楽会らしい一体感が生まれました。本当嬉しかった!アキヒロ、ありがとう!!
このあとは、海の市の屋上に場所を移して、みんなで今後の活動方針や復興に向け、自分たちに何ができるか-など、それぞれの考えや思いを話し合いました。久々に、気楽会らしい語り合う時間が共有できて良かったです。そして、さっそくですが、気楽会の復活第1弾イベントも決定しました!詳細が決まり次第紹介します。
みんな、それぞれつらい思いをしてきましたが、視線は少しずつ『前』を見ようとしています。ようやく、立ち上がれる気がしています。それも仲間がいるからこそ。一歩ずつですが、今度は若い自分たちが、支援していただいた方々や困っている人たちに微力ながら何かをしていく番ではないかと感じてます。
気仙沼の復興へ。気楽会の新たなチャレンジが始まります!ブログでもできる限り、被災地の今の状況や復興に向けた動きを発信していければと思います。これまで同様、皆さんの温かい応援をどうぞよろしくお願いします!
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気楽会東京支部のアキヒロです。
私は気楽会東京支部と名乗っていますが、まだ本家気楽会に対して、ブログを書く以外では何も貢献できていませんでした。
先週気仙沼に行く際に何か出来ることはないかと考えまして、勝手ながら気楽会のTシャツを作りました。
モチベーションを高く維持できる材料の一つとして、少しでも役に立ちたいと思い、団結力の絆を強めるメッセージを込めました。
知人にTシャツ作りを依頼したところ気楽会の活動に共感していただき無料で制作していただきました。
気仙沼の復興には気仙沼ホルモンを一躍メジャー舞台に押し上げた気楽会の存在がなくてはならないと思います。
マックスの弟だから気楽会にいるのではなく、本当に気仙沼のことが好きなので気楽会にいると思われるように頑張り続けます。
近いうちに東京支部から本家に向けて出来ることをTKさんと企画して、本家に負けないくらいの活動をしたいと思います。
長期戦を全員が一致団結で乗りきりましょう。
私は気楽会東京支部と名乗っていますが、まだ本家気楽会に対して、ブログを書く以外では何も貢献できていませんでした。
先週気仙沼に行く際に何か出来ることはないかと考えまして、勝手ながら気楽会のTシャツを作りました。
モチベーションを高く維持できる材料の一つとして、少しでも役に立ちたいと思い、団結力の絆を強めるメッセージを込めました。
知人にTシャツ作りを依頼したところ気楽会の活動に共感していただき無料で制作していただきました。
気仙沼の復興には気仙沼ホルモンを一躍メジャー舞台に押し上げた気楽会の存在がなくてはならないと思います。
マックスの弟だから気楽会にいるのではなく、本当に気仙沼のことが好きなので気楽会にいると思われるように頑張り続けます。
近いうちに東京支部から本家に向けて出来ることをTKさんと企画して、本家に負けないくらいの活動をしたいと思います。
長期戦を全員が一致団結で乗りきりましょう。
TKです。
昨日、日付が変わる直前に大きな地震がまた襲ってきました。
東京で震度4レベル。
揺れは1分ぐらい続き、怖くなって外に出ようかと思った時に揺れは収まりました。
慌てて、テレビを付けたら震源地はまたも東北で早速、津波警報が発令されてました。
3.11の悪夢が蘇る。
マックスに電話しようかと思ったものの、皆またパニックになって高台に逃げてると思い、電話は断念。 というか、電話はもう既に、圏外でつながりにくくなってました。
今の段階で宮城県内はまた大規模な停電になってるようです。
更なる被害がまた生じてるかも知れません。
ただでさえ大変なこの状況にまた震度6強の地震。
天変地異は本当、加減なし、情け容赦なし。
避難所で身を寄せ合って、寝ていたであろう多くの方々が再び、どれだけの恐怖を覚えただろうか。
想像しただけでも、胸が締め付けられます。
昨日、ちょうど気象庁がこれからまた大きい余震が来る事は否定できないと改めて警戒を呼び掛けた直後に起きた今回の大地震。
警戒呼び掛けられたところで、地震は止められない以上、結局逃げる事しか出来ず、対策などありません。
ただただ、津波が来ない事を祈り、津波が来ても、皆安全な所に逃げ切ってくれと祈るしかありません。
今回の地震で気仙沼の皆さんが無傷である事を心よりお祈りします。
昨日、日付が変わる直前に大きな地震がまた襲ってきました。
東京で震度4レベル。
揺れは1分ぐらい続き、怖くなって外に出ようかと思った時に揺れは収まりました。
慌てて、テレビを付けたら震源地はまたも東北で早速、津波警報が発令されてました。
3.11の悪夢が蘇る。
マックスに電話しようかと思ったものの、皆またパニックになって高台に逃げてると思い、電話は断念。 というか、電話はもう既に、圏外でつながりにくくなってました。
今の段階で宮城県内はまた大規模な停電になってるようです。
更なる被害がまた生じてるかも知れません。
ただでさえ大変なこの状況にまた震度6強の地震。
天変地異は本当、加減なし、情け容赦なし。
避難所で身を寄せ合って、寝ていたであろう多くの方々が再び、どれだけの恐怖を覚えただろうか。
想像しただけでも、胸が締め付けられます。
昨日、ちょうど気象庁がこれからまた大きい余震が来る事は否定できないと改めて警戒を呼び掛けた直後に起きた今回の大地震。
警戒呼び掛けられたところで、地震は止められない以上、結局逃げる事しか出来ず、対策などありません。
ただただ、津波が来ない事を祈り、津波が来ても、皆安全な所に逃げ切ってくれと祈るしかありません。
今回の地震で気仙沼の皆さんが無傷である事を心よりお祈りします。
気楽会東京支部のアキヒロです。
中学3年生の頃に黒夢を紹介されて、ロックにのめりこみました。
文化祭ではバンドを組み演奏を行い、
高校からは洋楽に傾倒し、バンド活動を始めました。
私服OKの気仙沼高校だったので革ジャンに髪はツンツンで自転車に乗り、
ロックを聞きながら通学していました。
高校三年生のみなと祭りを最後に受験のため、バンド活動は休止となり、自然消滅となりました。
大学ではバンド活動とは無縁のサークルに入り、高校以来バンドは組んでいません。
ドラムは部屋の片隅にずっと置いてありました。
バンドという形ではありませんでしたが、帰省するたびに部屋で叩いていました。
シンバルで鼓膜が揺れる感覚やスティックを握る感触、
窓に映ったドラムを叩く姿を見るときが実家に帰ってきたことを実感する瞬間でした。
津波で1階は跡形もなく消えたという話を聞いて、1階においてあったドラムには
もう会うことはないと思っていました。
しかし、
兄マックスと次兄セカンドマックス(?)と幸町の実家近辺を捜索しているときに
発見しました。
私のスネアドラムです。
ご覧のとおり、ガレキの中です。
見つからないと諦めかけていたので、すぐに駆け寄り、急いでガレキから取り出しました。
胸の鼓動の高鳴りは初めてドラムセットが届いた時と同じでした。
手に取った瞬間、胸の鼓動は確かに8ビートを刻んでいました。
服は粉塵まみれでヘドロくさかった。
それはそれでロックンロールな気持ちにさせてくれました。
ドラムを素手で叩くジョン・ボーナム(レッドツェッペリン)に憧れて、
右手薬指を骨折しかけた私。
軍手を外し、叩いてみましたが砂ぼこりが舞って、鈍い音だけが返ってきました。
でも中学3年生の時に買ったPearlのドラムに間違いありません。
思い出の場所は無くなってしまったけれど、
胸に刻み込まれたビートはいつまでも鳴りやむことは決してありません。
ロックとは固定観念を打破するもの。
常にロックであれ気仙沼。
ロックンロール気仙沼。
中学3年生の頃に黒夢を紹介されて、ロックにのめりこみました。
文化祭ではバンドを組み演奏を行い、
高校からは洋楽に傾倒し、バンド活動を始めました。
私服OKの気仙沼高校だったので革ジャンに髪はツンツンで自転車に乗り、
ロックを聞きながら通学していました。
高校三年生のみなと祭りを最後に受験のため、バンド活動は休止となり、自然消滅となりました。
大学ではバンド活動とは無縁のサークルに入り、高校以来バンドは組んでいません。
ドラムは部屋の片隅にずっと置いてありました。
バンドという形ではありませんでしたが、帰省するたびに部屋で叩いていました。
シンバルで鼓膜が揺れる感覚やスティックを握る感触、
窓に映ったドラムを叩く姿を見るときが実家に帰ってきたことを実感する瞬間でした。
津波で1階は跡形もなく消えたという話を聞いて、1階においてあったドラムには
もう会うことはないと思っていました。
しかし、
兄マックスと次兄セカンドマックス(?)と幸町の実家近辺を捜索しているときに
発見しました。
私のスネアドラムです。
ご覧のとおり、ガレキの中です。
見つからないと諦めかけていたので、すぐに駆け寄り、急いでガレキから取り出しました。
胸の鼓動の高鳴りは初めてドラムセットが届いた時と同じでした。
手に取った瞬間、胸の鼓動は確かに8ビートを刻んでいました。
服は粉塵まみれでヘドロくさかった。
それはそれでロックンロールな気持ちにさせてくれました。
ドラムを素手で叩くジョン・ボーナム(レッドツェッペリン)に憧れて、
右手薬指を骨折しかけた私。
軍手を外し、叩いてみましたが砂ぼこりが舞って、鈍い音だけが返ってきました。
でも中学3年生の時に買ったPearlのドラムに間違いありません。
思い出の場所は無くなってしまったけれど、
胸に刻み込まれたビートはいつまでも鳴りやむことは決してありません。
ロックとは固定観念を打破するもの。
常にロックであれ気仙沼。
ロックンロール気仙沼。
やまだです。
今週4日(月)から、気仙沼・仙台間のバスが
増便になっていたのをご存じでしたか!?
これまでは1日1便でしたが、一気に増えて
なんと6往復分も走らせてくれるんだそうです。
ありがたいですね、宮城交通さん☆
※詳しくは↓をご覧ください。
www.miyakou.co.jp/cms/news/desc/all/153/#target
僕が以前見たときは、ガソリン不足の事情もあり、
仙台から行くバスには1日1便に100人近くが並び
3台もバスを出していたので、これで少しは
利便性も上がって使いやすくなりそうですね。
ただ、往復する関係上、仙台からバス乗っていっても
日帰りできる便がないので、仙台から行く身にとっては
ちょっときついところですね。。。
(まだ宿泊できる施設がないようなので)
でも、気仙沼から行く人にとっては仙台まで行って、
買い物して、日帰りもできるし、まずはよかった、よかった。
もうちょっと落ち着いたら、もう少し増便されるでしょうから
少しずつ元のダイヤに戻ることを待ちたいと思います!!
↑は、やっちさんを見送ったときに撮った画像です(^^
それから余談ですが、
8日(金)に急きょ気仙沼に行くことになりそうです。
これについてはまた後日報告しますね!
TKです。
震災以来、ブログ書き始めてからやたら時が経過するのが早く感じる今日この頃です。
今、三人で交代しながらブログ書いてますが、自分の番に回ってくるのがやたら早く感じます。
この前ブログ書いたばかりなのにもう順番回って来たの?!
と毎回驚かされます。
特にネタがない時でも、気楽会ブログを毎日更新してきた気楽会メンバーの苦労を今軽く味わってます。
昨日は東京支部のアキヒロが気仙沼から帰って来ましたが、生の気仙沼の姿は想像以上に凄惨で、一昨日のブログを無断キャンセルしてしまう程精神的なダメージを受けたみたいです。
やはり、テレビで見る気仙沼と生で見る気仙沼は違うようです。
何人か気仙沼に行って来た友達がいますが、その人達の話を聞いてもやはり同じ事を言います。
「テレビで報道されている以上に現場は深刻な被害だ」と。
自分も今までは、街を復興しましょうと生の気仙沼の現状を見ずに軽々しく言ってましたが、そんなレベルの話じゃないんですよね。
となると、現状をろくに知らない自分がこんなブログを書く事事態不謹慎であってブログなんか書いてる場合じゃないのかもしれません。
しかし、多くの人が絶望的な気持ちになりつつも、自らを鼓舞し、必死に生きようとする姿を見ると、尚更遠くにいる僕らが何か少しでも行動起さなければいけないと思うのです。
このブログがどのように評価されてるかわかりませんが、書かないよりはマシと割り切り、気仙沼の人が見て少しでも元気づけられるような話題や、或いは遠くにいる気仙沼人が共鳴し、気仙沼の為に行動を起こす引き金となるようなブログを目指したいと思います。
なので、今後も出来る限りブログを書き続けようと思いますので宜しくお願いします!
最後に明るい話題です
今日の読売新聞に、気仙沼出身の畠山健介さん(25)が載ってました。
健介というと、プロレスラー佐々木健介を思いだされますが、畠山さんはプロレスラーではありません。
畠山さんはラグビー日本代表であり、今年ニュージーランドで開催される四年に一度の祭典、ラグビーワールドカップのアジア最終予選に向けた最後の合宿でレギュラーの座を獲得すべく今一生懸命頑張られてます。
今回の津波で気仙沼の実家を失い、予定していた結婚も延期になってしまった畠山さん。
そんな苛酷な状況に置かれながらも、日本代表レギュラーの座を獲得し、ワールドカップでは日の丸と気仙沼を背負って戦い、被災者の人を元気づけたいと話されてました。
肉体と肉体が激しくぶつかりあい、ボロボロになりながら戦い抜く男のスポーツラグビー。
ワールドカップともなれば、ボブサップ級の体格を持った外人が容赦なく体当たりやタックルしてくる恐ろしい世界です。
そんな怪物相手に、日の丸のユニフォームに身を包んだ、畠山さんが立ち向かって行く姿は間違いなく気仙沼を勇気づけてくれるでしょう
是非、外人,震災もろとも思いっきり吹き飛ばす渾身のタックルで気仙沼を元気づけてもらいたいですね!
頑張れ畠山健介!!
震災以来、ブログ書き始めてからやたら時が経過するのが早く感じる今日この頃です。
今、三人で交代しながらブログ書いてますが、自分の番に回ってくるのがやたら早く感じます。
この前ブログ書いたばかりなのにもう順番回って来たの?!
と毎回驚かされます。
特にネタがない時でも、気楽会ブログを毎日更新してきた気楽会メンバーの苦労を今軽く味わってます。
昨日は東京支部のアキヒロが気仙沼から帰って来ましたが、生の気仙沼の姿は想像以上に凄惨で、一昨日のブログを無断キャンセルしてしまう程精神的なダメージを受けたみたいです。
やはり、テレビで見る気仙沼と生で見る気仙沼は違うようです。
何人か気仙沼に行って来た友達がいますが、その人達の話を聞いてもやはり同じ事を言います。
「テレビで報道されている以上に現場は深刻な被害だ」と。
自分も今までは、街を復興しましょうと生の気仙沼の現状を見ずに軽々しく言ってましたが、そんなレベルの話じゃないんですよね。
となると、現状をろくに知らない自分がこんなブログを書く事事態不謹慎であってブログなんか書いてる場合じゃないのかもしれません。
しかし、多くの人が絶望的な気持ちになりつつも、自らを鼓舞し、必死に生きようとする姿を見ると、尚更遠くにいる僕らが何か少しでも行動起さなければいけないと思うのです。
このブログがどのように評価されてるかわかりませんが、書かないよりはマシと割り切り、気仙沼の人が見て少しでも元気づけられるような話題や、或いは遠くにいる気仙沼人が共鳴し、気仙沼の為に行動を起こす引き金となるようなブログを目指したいと思います。
なので、今後も出来る限りブログを書き続けようと思いますので宜しくお願いします!
最後に明るい話題です
今日の読売新聞に、気仙沼出身の畠山健介さん(25)が載ってました。
健介というと、プロレスラー佐々木健介を思いだされますが、畠山さんはプロレスラーではありません。
畠山さんはラグビー日本代表であり、今年ニュージーランドで開催される四年に一度の祭典、ラグビーワールドカップのアジア最終予選に向けた最後の合宿でレギュラーの座を獲得すべく今一生懸命頑張られてます。
今回の津波で気仙沼の実家を失い、予定していた結婚も延期になってしまった畠山さん。
そんな苛酷な状況に置かれながらも、日本代表レギュラーの座を獲得し、ワールドカップでは日の丸と気仙沼を背負って戦い、被災者の人を元気づけたいと話されてました。
肉体と肉体が激しくぶつかりあい、ボロボロになりながら戦い抜く男のスポーツラグビー。
ワールドカップともなれば、ボブサップ級の体格を持った外人が容赦なく体当たりやタックルしてくる恐ろしい世界です。
そんな怪物相手に、日の丸のユニフォームに身を包んだ、畠山さんが立ち向かって行く姿は間違いなく気仙沼を勇気づけてくれるでしょう
是非、外人,震災もろとも思いっきり吹き飛ばす渾身のタックルで気仙沼を元気づけてもらいたいですね!
頑張れ畠山健介!!
気楽会東京支部のアキヒロです。
週末、気仙沼に行きました。震災後初めてです。
本来なら順番的に昨日アップしなければなりませんが、手が動きませんでした。
私は個人ブログを二つ持ち、ツイッター、FACEBOOKをしていますが、今まで味わったことがないくらい文章が進みません。
震災後の気仙沼の様子などを気になっている方がたくさんいると思いますが、今の気持ちに当てはまる言葉が見つかりません。
生まれ育った幸町、仲町は絶望でした。本当に何もありませんでした。
失ったものが大きすぎました。
しかし、兄マックスをはじめ、出会った気仙沼の方の目は諦めてはいませんでした。
家の後片付けをしている方やすれ違う方は『がんばっぺし』『復興させっぺ』と口を揃えています
今すぐ、どうこう出来る問題ではありません。
長期戦です。
これは相当長いです。
我々がしなければならないことが少しですが見えてきました。
頭の整理がついたら、もう少し具体的なことを書かせていただきます。
画像はガレキの中から見つけた気楽会Tシャツです。
拙い文章で申しわけございませんでした。
週末、気仙沼に行きました。震災後初めてです。
本来なら順番的に昨日アップしなければなりませんが、手が動きませんでした。
私は個人ブログを二つ持ち、ツイッター、FACEBOOKをしていますが、今まで味わったことがないくらい文章が進みません。
震災後の気仙沼の様子などを気になっている方がたくさんいると思いますが、今の気持ちに当てはまる言葉が見つかりません。
生まれ育った幸町、仲町は絶望でした。本当に何もありませんでした。
失ったものが大きすぎました。
しかし、兄マックスをはじめ、出会った気仙沼の方の目は諦めてはいませんでした。
家の後片付けをしている方やすれ違う方は『がんばっぺし』『復興させっぺ』と口を揃えています
今すぐ、どうこう出来る問題ではありません。
長期戦です。
これは相当長いです。
我々がしなければならないことが少しですが見えてきました。
頭の整理がついたら、もう少し具体的なことを書かせていただきます。
画像はガレキの中から見つけた気楽会Tシャツです。
拙い文章で申しわけございませんでした。
やまだです。
気仙沼にいない人からすると、現地の様子というのは
なんとも気になるところだと思います。
そんな中、最近、気仙沼に戻られていたダイジさんが
現地の街の様子を原付に乗りながら(?)、動画にとって
それをYouTubeにアップしてくれています。
◎degのオレモリ
ameblo.jp/deg-tkym/
地区毎に複数動画を撮ってきてくれているので
画像だけでは中々伝わりにくい街の様子が少しですが
感じられるかと思います。
気仙沼から離れ、まだ現地に行くことができず、
あのお店や、あの場所がどうなってるんだろう、、、と、
もどかしい思いを感じている方はぜひ見てみてください。
動画のうちの一つを↓にも貼っておきます。
(ケータイでは見れない方もいるかもしれませんが)
ダイジさん、おつかれさまでした!!
貴重な情報、どうもありがとうございます!
TKです。
震災から三週間が経ちました。
公共交通網もあちこちで復旧し、東北地方に足を運ぶ人達が増えて来ました。
淡々と当たり前のように道路が復旧していってますが、海外ではあまりにも早い道路の復旧に驚嘆の声が挙がってるようです。
震災でたった6日で復旧した常磐道にいたっては、震災直後の写真と復旧後の写真を見比べ、海外のネットユーザーから
「奇跡だ!」、
「嘘だろ!」、
「うちの国なら最低1ヶ月はかかってた」、
「我々の行政は日本からこの姿勢と技術を学ぶべきだ」
と短時間で道路を復旧させた日本人の勤勉さと技術に数々の驚きと称賛の声が挙がっていました。
「やっと開通したよ」とのんきに言ってる人は、何もわかっちゃいません。
世界トップクラスの舗装技術と震災直後から夜通しで復旧作業をしている人達がいるからこそ、こんなにも早く道路が利用出来るようになった事をもっと認識すべきでしょう。
逆にいえば、この復旧の早さに驚かない日本人ってどれだけ恵まれた環境で生きてるんでしょう。
いつも行政に不満や苛立ちを持ってる人もたまには、行政に対し敬意と感謝の念を持ち合わせて欲しいものです。
やはりこの国はただならぬポテンシャルを持ってます。
さて、道路が復旧したお陰で、今週末ぞくぞくと気仙沼に帰る人達が目立ちます。
気楽会東京支部からアキヒロと気楽会ブログに度々登場のIT会社の女社長オヤマリーさんが気仙沼に帰ってます(その2人ぐらいしか知りませんが、、)。
このお2人は熱烈な気仙沼信者であり、並外れた故郷愛を持っており、頭の中は常に気仙沼の事で満たされてます。
特にリーさんなんか、ツイッタ-で少しでも気仙沼に関する有益な情報を提供したいと、24時間体制で被災以来1000回以上つぶやいてます。
自分の業務をほったらかしにし、つぶやきまくる社長の姿にある社員が、「うちの会社は大丈夫か」と思わず危機感を口にしてしまう程、気仙沼に対し熱が入ってます。
一方アキヒロも負けてません。
少しでも気仙沼を元気づけようとある物を作成して気仙沼に向かいました。
そのある物とは、、、アキヒロの次回のブログでご確認下さい。
今、気仙沼復興支援サイト「リアス気仙沼」で今後何をやっていけるか、今何をすべきか考え中です。
今の気仙沼の現状を目の当たりにしたお2人がどう感じ、何を思ったか、今後の「リアス気仙沼」の在り方にヒントを与えてくれそうです。
このお二人から早く気仙沼話が聞きたいですね。
気仙沼にいる人は街中で見かけたら、声掛けてあげて下さい。
アキヒロ!大島行って鬼ごっこだけはまだするなよ!
震災から三週間が経ちました。
公共交通網もあちこちで復旧し、東北地方に足を運ぶ人達が増えて来ました。
淡々と当たり前のように道路が復旧していってますが、海外ではあまりにも早い道路の復旧に驚嘆の声が挙がってるようです。
震災でたった6日で復旧した常磐道にいたっては、震災直後の写真と復旧後の写真を見比べ、海外のネットユーザーから
「奇跡だ!」、
「嘘だろ!」、
「うちの国なら最低1ヶ月はかかってた」、
「我々の行政は日本からこの姿勢と技術を学ぶべきだ」
と短時間で道路を復旧させた日本人の勤勉さと技術に数々の驚きと称賛の声が挙がっていました。
「やっと開通したよ」とのんきに言ってる人は、何もわかっちゃいません。
世界トップクラスの舗装技術と震災直後から夜通しで復旧作業をしている人達がいるからこそ、こんなにも早く道路が利用出来るようになった事をもっと認識すべきでしょう。
逆にいえば、この復旧の早さに驚かない日本人ってどれだけ恵まれた環境で生きてるんでしょう。
いつも行政に不満や苛立ちを持ってる人もたまには、行政に対し敬意と感謝の念を持ち合わせて欲しいものです。
やはりこの国はただならぬポテンシャルを持ってます。
さて、道路が復旧したお陰で、今週末ぞくぞくと気仙沼に帰る人達が目立ちます。
気楽会東京支部からアキヒロと気楽会ブログに度々登場のIT会社の女社長オヤマリーさんが気仙沼に帰ってます(その2人ぐらいしか知りませんが、、)。
このお2人は熱烈な気仙沼信者であり、並外れた故郷愛を持っており、頭の中は常に気仙沼の事で満たされてます。
特にリーさんなんか、ツイッタ-で少しでも気仙沼に関する有益な情報を提供したいと、24時間体制で被災以来1000回以上つぶやいてます。
自分の業務をほったらかしにし、つぶやきまくる社長の姿にある社員が、「うちの会社は大丈夫か」と思わず危機感を口にしてしまう程、気仙沼に対し熱が入ってます。
一方アキヒロも負けてません。
少しでも気仙沼を元気づけようとある物を作成して気仙沼に向かいました。
そのある物とは、、、アキヒロの次回のブログでご確認下さい。
今、気仙沼復興支援サイト「リアス気仙沼」で今後何をやっていけるか、今何をすべきか考え中です。
今の気仙沼の現状を目の当たりにしたお2人がどう感じ、何を思ったか、今後の「リアス気仙沼」の在り方にヒントを与えてくれそうです。
このお二人から早く気仙沼話が聞きたいですね。
気仙沼にいる人は街中で見かけたら、声掛けてあげて下さい。
アキヒロ!大島行って鬼ごっこだけはまだするなよ!