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気楽会の観光案内課 



第30回6月12日(日)参加者募集中です。

第30回「気楽会の観光案内課」
日時:2016年6月12日(日)9:00~16:00
集合場所:気仙沼市役所
参加費:2000円

お問い合わせはメールで
↓↓↓↓

kesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp 主催:気楽会
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やまだです。

一昨日、偶然のご縁があって、トンボ返りでしたが
急きょ、気仙沼に行くことができました。

というのも、仙台の商工会議所青年部の知人が
気仙沼の商工会議所青年部の方に救援物資を
トラックで届けに行くということで、

「そのトラック一席空いてるから、乗ってくか?」
と前日夜に会ったときに声をかけてもらったんです。

ガソリン不足や現地の状況から、
今は自分が気仙沼に行っても、と思ってはいましたが
やはり今の気仙沼を自分の目で見ておきたかった、
という気持ちは強くあったので、とてもありがたかったです。

※今の気仙沼を見ての感想的なところは
 僕の個人ブログの方にちょっとだけですが書いたので
 そちらについては、よろしければ↓を見てください。
 yamada.da-te.jp/e416594.html


さて、それで、肝心の届け先の様子を少しご紹介します。

僕も行くまで知らなかったのですが、気仙沼高校の体育館で
気仙沼商工会議所青年部が運営する災害支援本部があります。

ここで主に全国の商工会議所会議所青年部からの救援物資を
受け入れ、避難している方に届けているとのこと。


体育館の中を見てみると、
↓のようにたくさん支援物資がありました。

110330-083131.jpg












110330-083142.jpg












110330-083208.jpg












110330-083221.jpg












ありがたいことに全国から水、食料品、衣類、
生活雑貨など色んな物資が届いてました。
(食料品などはまだまだ足りないとのことでしたが)

こちらの災害救援物資は、市経由の救援物資では
なかなか行きわたらない、避難所以外で自宅避難を
している方などに個別に届けているんだそうです。

この拠点は震災後3日くらいで立ちあがっていた
ということでした。素晴らしい動きですね。

気仙沼だけでなく、商工会自体が被災してしまった
大船渡にも物資を届けているとのことでした。

どうしても行政だけだと限界がありますから
このように自発的な動きの中で、こまやかに動いて
くれる方々がいると、とても心強いですね!

※俊ちゃんが昨日コメントで紹介してくれたのも
 正にそんな動きですね!
 rudejam.blog108.fc2.com/


一部、スーパーなどは営業を開始してましたが
まだまだ買い物にも行けない方が多いでしょうから
ぜひがんばっていただきたいと思います。

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気楽会東京支部のアキヒロです。

復興へ向けて重要なポイントは被災地への交通アクセスです。

先週の木曜日には東北自動車道の交通規制が解除され、一般車両も通れるようになりました。
また三陸自動車道も昨日の30日に解除されました。
交通アクセスの普及は支援物資の輸送が円滑にし、同時に復興するスピードが加速すると思います。
問題になっていたガソリンパニックも徐々に落ち着いてきていると聞いています。

気仙沼では気仙沼港と大島を結ぶ定期航路が30日に再開されました。
これによって大島に住む方々にも物資の行き来が円滑になると思います。

大島には数えるほどしか行ったときがありませんが、
思い出は高校3年生の時にクラスでなぜか大島全体を使って
「鬼ごっこ」をしたことです。
なぜ鬼ごっこになった経緯は覚えていませんが、そのときはまだ男子校だった
気仙沼高校のひとクラス30人くらいが大島を走り回りました。
私は鬼で追いかけていたのですが、誰も捕まえることができませんでした。
逃げている人は大島の親戚の家に隠れていたとか(見つけられるわけない)
亀山の中腹に潜んでいたり、岩場に隠れているなど、高校生なのに
おかしいくらい真剣に遊んでいました。
終了時間になり、点呼している集合地点までタクシーで来る輩などいました。
いつかまた大島で鬼ごっこがしたいです。
といいますか、実現させます!

話は逸れてしまいましたが、交通アクセスは着々を復旧し始めてきています。
東北新幹線も4月中に再開予定を発表しています。
気仙沼線の話はまだ出てきませんが、そう遠くない日に復旧の話もでてくるはずです。
思い切って、三陸新幹線とかも作ってもいいかもしれません。

気仙沼、宮城、東北、日本は復興します。
「共に」頑張りましょう。


TKです。

震災から19日が経ちました。
気付けば3月ももうあと1日で終わってしまいます。
確かにもう4月という事もあり、東京では桜もチラホラ咲き始めて来ました。



しかし、例年ならこの時期になると花見の話題で持ちきりですが、東北大震災の前ではさすがに自粛ムードです。


僕らの様な東北出身の人ならば、尚更花見どころじゃありません。


来年は、気仙沼ホルモンでも食べながら、花見が出来たらいいですね。


さて、気仙沼でも徐々に明るい話題が聞こえ始めて来ました。


一番懸念されていた、ガソリン不足も、市内のスタンドで給油出来るようになり、不安も解消されつつあるみたいですね。


これは本当に朗報です。


遠方にいる人にとっても、今までは気仙沼に行くとなると片道のガソリンをタンクに詰め込み、帰りは帰って来れないかもしれないという、神風特攻隊ばりの悲壮な覚悟で気仙沼に行かなければいけませんでしたが、その不安がなくなりました。


そして、宅配便も営業所止まりだったのが、個人宅にも配達出来るようになり、ダイレクトで相手に物を届ける事ができるようになりました。


ふと考えるとこのサービスは偉大です。

気仙沼にわざわざ足を運ばなくても、全国どこからでもそんな高くない値段で物を届けてくれるんですから、魔法の様なサービスです。

今まで、物を送っても相手に気仙沼郵便局にまで取りに行かせる事が申し訳ないと、物を送る事に地団駄を踏んでいた人にとっても朗報ですね。


この様に、物と人が行き渡りやすくなった事は復興へ向けて大きな第一歩を踏み出したと言っていいでしょう。


人も行きやすくなった事で、被災地に炊き出しを行う善意溢れる人達が多くなって来ました。


今日も東京に籍を置く、「SPPUTNIK INTERNATIONAL」という社団法人の方がスリランカ人14人を引き連れ、気仙沼でカレーの炊き出しを行ってます(午前中ケーウェーブ900食、福寿荘200食、午後松岩公民館400食、階上中学校1200食)。


何故、数多くある被災地の中で気仙沼を選んで来てくれたか謎ですが、有難い話です。


そして、先日ブログでお伝えした、我らが貴闘力関。

「気仙沼には是非行きたい」という宣言通り、27日から気仙沼小学校に泊まり込みで炊き出しを行ってくれてるみたいです。

昨日も元ハマの大魔人佐々木主浩さんとその妻榎本加奈子さん、プロゴルファー世界の青木功さんを引き連れ、ちゃんこ鍋2500食も振る舞ってくれた様子が新聞に載ってました。


これまた何故気仙沼をこんなひいきにしてくれるのか、謎ですが、嬉しすぎます。

現役時代、闘志を全面にだした男気ある相撲っぷりが好きでしたが、今も変わらず、現役当時同様の男気が溢れまくってます。


貴闘力関は東京で焼き肉店「ドラゴ」の店主を務めていますが、わざわざボランティアの為に店をあけてまで駆けつけてくれました。


気仙沼人としてそのお礼の意味合いも込めて、近々ドラゴに食べに行きたいと思います。


全国から届けられる、温かい善意の数々。


ただただ、今は感謝感謝であります。


本当に有難い、有難い、、



やまだです。

昨日の日刊スポーツをご覧になった方はいますか?

気仙沼のひろちゃんから、
「日刊スポーツに写真が載るからね~」と聞いてたので
さっそく昨日、日刊スポーツをゲットしてみました。


ペラペラめくっていくと、後ろの方の紙面に、

110328-132608.jpg


















今回被災された現地の人たちの元気な様子が
様々載ったページがありました。


↑の紙面の真ん中ちょい左を見ていただくと、、、

110328-132550.jpg


















いた!!!

なぜか見慣れないギターを持った姿!?(^^;
(どこかぎこちないポーズ、、、)


このギターと野球グッズの差し入れは、
気楽会のイベントなどに何度もご参加いただいている
室根のしほさんが届けてくれたものなんです。
(このブログにもコメントいただいてます☆)

ひろちゃんたちの声は聞いてるけど、画像として
また違った形で元気な姿が見れてよかったです(^^


そしたら、同じ日刊スポーツのWEBを見てみると、
なんと、なんと!!!

皆さんご存知、アンカーコーヒーのやっちさんも
でっかく映っていましたっ!!
日刊スポーツのフォトのページより

僕も大好きなアンカーコーヒープレミアム店の
焙煎工房が見るも無残に倒壊していて、
その前に立つピンクジャージ(!)のやっちさん。

本当ならばつらい画像のはずなのですが
この画像はなぜか微笑んで見ちゃいました。
(不謹慎ですいません)

今後のアンカーコーヒーの復活を予感・確信させる
そんな前向きで力強い雰囲気を感じさせるから
なんだろうなと思います。

近い将来、アンカーコーヒーが復活したときには
きっと思い出の1枚になるでしょうね。

その日をみんなで心待ちにしましょう!!



気楽会東京支部のアキヒロです。

現在、春の選抜高校野球で東北高校が初戦を迎えています。
1回の表に5点先制されましたが、絶対に逆転できます。

震災後はろくに練習が出来なかった野球部、
出来なかったというか、出来る状況じゃなかった。
感受性が豊かな時期。
複雑な想いが交錯しながら野球を続けていると思います。

南光、頑張れ!(「なんこう」東北高校の通称。)
最後の最後まで応援してます!
共に応援しましょう。



今週末にようやく気仙沼に行けるようになりました。
遅れてしまいましたが、遅れた分を取り返すようなことをしたいと思います。


TKです。

震災から、二週間が過ぎました。



いまだにまだ、大津波が現実に発生し、街を飲み込んだという現実が夢のように感じてしまいます。



世界にも例を見ないほどの地震と津波がよりによって、地球の中で自分の故郷に降りかかるなんて、本当にありえ
ない事です。



最近は、精神衛生上の事も考えてニュースから少し離れるようにしていますが、友達からの電話やメールで、被災にあった知り合いの訃報を聞かされると、嫌でも現実に引き戻されてしまいます。



昨日は三人もの同級生の訃報を聞かされ、愕然としました。


僕の気仙沼中学校時代の同級生は、今回の津波の被害にあうまでは、誰一人も亡くなっておらず、33年間皆その命を大切に守り抜いて来ました。



それだけに、一つの災害であっさりと多くの同級生が亡くなるという事実に改めて今回の災害の大きさを思い知らされます。

まだまだ安否不明者がたくさんいるだけに、また悲しい知らせが待ち受けているのかと思うと、なかなか気持ちが上向きになれません。




このような悲報がなくなる日が本当に待ち遠しいですね。


さて、気持ちが晴れないまま、二週間が経過しましたが、遠く離れた東京でもただじっとテレビで気仙沼の被害の様子を見ていた訳じゃありません。


何か出来る事はないかを常に考えてきました。


その一環として、気仙沼復興支援ホームページ「re:us気仙沼」を立ち上げました。

ホームページ名のre:us気仙沼の名前の由来は、re=再び、us=私たちの手によってリアス海岸の街気仙沼を復興させるというという思いが込められています。


まずは、義援金の呼びかけから始まり、twitterでのリアルタイムの情報を提示、賛同者を募り、その賛同者と知恵を出し合って色々な仕掛けをしていきたいと思ってます。


まだ立ち上げたばかりで、どのように展開していくかは今後の課題ですが、このサイトを通じてとにかく気仙沼を少しでも元気づけ、少しでも早い復興の手助けとなるように頑張ります。



まだまだ、復興へ向けて、長い時間が必要ですが、このサイトも気仙沼の復興とともにに歩んで行きます。


今後ともども、re:us気仙沼をどうぞ宜しくおねがいします!!

re:us気仙沼 

re-us-kesennuma.com/

*なお、マギー審司さん、畠山美由紀さんから気仙沼へのメッセージを動画としてアップしましたが、今現在パソコンからでしか視聴できません。近日中に携帯からでも視聴できるように今準備を進めていますので今暫くお待ちください。












 



やまだです。

仙台にいると、まだまだ気仙沼の現地の様子は
分からないことばかりですが、新聞などの報道で
少しずつ現地での前向きなニュースが入ってきています。


伏見男山・蒼天伝でおなじみの男山本店さんは
事務所・酒蔵が大きな被害を受けた中にも関わらず
たった2人でこの冬最後の仕込みをされているそうです。
3月21日の河北新報(記事リンク)

店主・菅原昭彦さんは、現地からブログも更新されているので
よろしければ、こちらもぜひご覧ください。
男山本店のウェブログ


また、市内のNPOネットワークオレンジさんも
被災された中にも関わらず、代表・小野寺さんの自宅で、
障害児のデイサービスを再開されたとのことです。
3月25日の毎日新聞(記事リンク)

ネットワークオレンジさんも、現地からブログ更新されています!
ぽっかぽかオレンジ(公式ブログ)


まだまだ大変な状況ですが、現地からこのように
前向きな再始動の知らせを受けるととても嬉しいし、
こちらも力づけられますね!!

我らが気楽会の仲間は、昨日も定例会を開催したとのこと!
subahibi.blog87.fc2.com/blog-entry-519.html

今後も、毎週金曜日12時から、ワンテンビルで行うそうなので
もし気仙沼でこのブログをご覧になっている方がいたら、
ぜひぜひ行ってみてください!!




気楽会東京支部のアキヒロです。

「想いは一つ」と前回書かせていただきました。
日本はもちろん世界中の方が日本を応援しています。
私の同級生でドイツで絵画の勉強、修業している小野寺綾さんという方がいます。
遠くにおりましても気仙沼を想う気持ちは皆さんと同じです。
その小野寺さんが気楽会日記を通じて、世界中が
気仙沼、東北、日本を応援していることを伝えたいことがあると
いうことで今回はゲストいう形で紹介させていただきます。



***************

気仙沼の皆さん、

こんにちは。
ゲストですが、気楽会(仮)ドイツ支部の綾です。

私は今、ドイツの芸術大学で絵画の勉強しています。

気仙沼の家族はなんとか無事でしたが、友達と親戚、大事な人たちを津波で失いました。
正直、涙は止まりません。
心の中に、大きな穴が空いてしまったような喪失感があります。

けれど、私は、故郷である気仙沼が、宮城が、東北が大好きです。
18歳まで私を育ててくれたのは、東北の宮城県気仙沼市です。
今度は私が、そして同年代の皆が、故郷への恩返しとして育てて行く番だとおもいます。

今、26歳の私にできることは、将来、東北をまた、以前よりも元気に復興させることです。

そのため、微力ではありますが、この一週間、ドイツで自身の絵画の展覧会を通して、義援金集めをしていました。

私自身が集めた、気仙沼への義援金は10万円以上貯まりました。
東北全体への義援金はドイツの独日協会や在独日本人達が、集めて下さり、100万円以上です。
ドイツ赤十字は、ドイツ国民からの募金3億円を日本の震災地や医療団体へ送ります。

もちろんお金の価値は人様々だと思います。

10歳のドイツの子供達までが、なけなしのお小遣いから、1ユーロ=約100円の寄付をしてくれました。

「大人の人からもらうから大丈夫だよ」と私が言うと
「うーん、でも募金させて!日本が好きなの、助けたいの!」と元気に答えてくれました。

皆さん、涙もやりきれない思いも、失望も、怒りも、悲しみも、悔しさも、後は絶たないと思います。

でも世界中が今、気仙沼の、東北の、そして日本の味方です。

私がここに書きたいと思ったのは、ドイツの人の気持ちを届けたかったからです。
亡くなった人達のためにも、命がある限り、生き延びた分、生きて行きましょう。
みんなで力を合わせて、また素敵な街を作って行きましょう。
希望を失わない限り、目標となって、絶対に達成することができます。

大好きな故郷へ

ドイツより祈りと心を込めて

小野寺綾


TKです。

震災から14日目が経ちました。

3月はまだ始まったばかりと思ってたら、いつの間にかもう下旬になってます。

どうやら、震災に関する情報を夢中で追い続けた結果、時の経過を忘れてしまったようです。


この季節、本来花粉症に苦しめられるてるはずですが、花粉症の存在すらも忘れてしまいました。


一つの物事に神経を集中させると、他の物事は本当に気にならなくなるものですね。


東京では、ガソリンの供給がやっと安定し、昨日あたりからガソリンスタンド渋滞が消えて行きました。


スーパーやコンビニには、品物不足が続き、計画停電も1日3~6時間程実施されています。
夏になったら更なる大規模な停電が必要ともいわれてます。


しかし、いづれにせよ被災者が今直面している状況に比べれば、大した問題じゃありません。




個人的にはまず恵まれた環境で生きている被災地域以外の人達は多少の犠牲を払い、もっと過酷な環境に身を置き、心身共に浄化すべきだと思います。


自分も今は暖房器具はもう使ってませんし、電気もたまに見るテレビと学習用電気スタンドぐらいしか使ってません。
食べ物も外食は極力避け、質素な食事を心掛けてます。


移動手段も、徒歩か自転車です。
スポーツタイプの自転車だと、その気になれば1日200~300キロは走れるので、東京にいて電車や車を使う機会はほとんどありません。


このぐらい少しストイックな生活を送って、初めて被災者へ頑張れとエールを送れるような気がします。



さて、今まで気仙沼に行こうにもガソリン不足で行けなかったり、物資を送りたくても宅配便が休止状態で、何も気仙沼の為にしてやれずヤキモキしてた人が多かったと思います。


そこで昨日からやっと郵パックが受付を開始してくれました。


これでやっと物資を送れる事が出来ます。

ただし、物を送ったとしても気仙沼郵便局止まりです。
なので荷物は受取人が気仙沼郵便局に受け取りに行かなければいけません。

発送日から1日~1週間ぐらいで荷物が到着するみたいです。

物を送る時は、相手に何が不足しているかを聞いて、必要な物だけを送る事を心掛けた方がいいでしょう。

これで、少しでも被災者にとって役立つ物が届けられ、笑顔が増えるといいですし、被災以来ずっと何も手助けする事が出来ず、心痛めていた遠方の人にとっても少し憂さ晴らしが出来ますね。



最後に嬉しく感動したニュース。


ご存知の方も多いと思いますが、先日台湾で、東北大震災の為のチャリティー番組が行われ、22億円というとてつもない巨額な義援金が集まりました。


2000万人という約日本の6分の1の程度の人口で、300円でお腹一杯食える物価の国が、日本の為にこれだけの大金を集めてくれたのです。

しかもたった4時間半で!

因みに、24時間テレビで過去に集めた最高金額は11億9000万円ですから、いかにこのチャリティー番組が叩き出した数字が驚異的かわかります。


恐らく、自国以外の国の為に集めた義援金額としてはギネス級の数字であるといっていいでしょう。


そしてこの後も寄付の動きは止むことなく、昨日の時点で何と41億円にまで膨れ上がりました。


どんだけ日本の事を想ってくれてるのでしょう。
涙が出そうです。
もう台湾に足向けて寝れません。


恐らく、この義援金の一部は気仙沼復興の為にも大いに活用されるものと思います。


この台湾国民の温か過ぎるバックアップに応えるのには、1日も早く街を復興させる事でしょう。


ギネス級の義援金には、ギネス級の早い復興で恩返ししたいですね!


気仙沼なら出来ます!
やりましょう!!


かずきです。被災から今日で13日目。おかげさまで、避難所生活にもようやく慣れてきました。このブログでも連日たくさんの皆さんからの励ましのコメントなどを見るたび、元気と勇気をもらってます!本当ありがとうございます(>_<)

こちらの避難所(ケー・ウエーブ)はライフラインも復旧。食事は避難者数が市内で最も多いためか、一昨日から1日2食(昼・夜)に減ったものの、全国各地の食品メーカーさんや自衛隊の皆さんの炊き出し等により、食料は避難者に行き届いてます。皆さんからの救援物資に日々感謝する毎日です。ありがとうございます!

さて、今日は午前中に小3になる息子の修了式に行ってきました。通っていた南気仙沼小は体育館が水没し損壊、校舎も津波で被害を受けるなどして使用不能に。このため、急遽、小学校から少し離れた条南中で卒業式&修了式を合同で執り行うことになりました。

子供たちのほとんどの家が津波で被害を受けるという状況でしたが、会場には元気いっぱいの子供たちの姿が。大半の保護者も避難所から直接我が子のために駆け付けました(自分もケー・ウエーブから徒歩でしたf^_^;)

とくに6年生にとっては、まさに晴れの門出となるはずだった卒業式。震災によって家を失った子供たちの悲しみは、親以上に計り知れないものがあったはずです。それでも、会場はどこであれ、先生方の懸命な準備によって無事この日を迎えることができたのは大きな、大きな喜びだったに違いありません。

校長先生から、一人ひとりに渡された卒業証書。実はこの卒業証書も、保管していた校長室が津波によって流されたため、当初どこにあるか分からなくなっていたそうです。大量の泥に埋まっていた金庫の中から、奇跡的に先生たちが見つけ出したものでした。

当然、水に濡れた状態でしたが、先生方が一枚、一枚くっついた卒業証書を丁寧にはがしては乾かし、はがしては乾かしを繰り返し、何とか今日に間に合わせたそうです。はなむけの挨拶で、このエピソードを話していた校長先生。先生方の子供たちに対する温かい愛情に、僕も思わず目頭が熱くなりました。

中には泥が付いたままの卒業証書を受け取った子供たちもいます。きっと大人になった彼らがこの証書を眺めるたび、あの地震・津波の恐怖や教訓をずっと未来に語り継いでいってくれることでしょう。

6年生のみんな、卒業おめでとう!!大人になった頃には、活気のある元気な気仙沼になっているはず。今を生きる僕たち大人がしっかりとサポートしていくよ!一歩ずつ、一歩ずつ、ともに新たな歴史をつくっていこう!





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