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気楽会の観光案内課 



第30回6月12日(日)参加者募集中です。

第30回「気楽会の観光案内課」
日時:2016年6月12日(日)9:00~16:00
集合場所:気仙沼市役所
参加費:2000円

お問い合わせはメールで
↓↓↓↓

kesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp 主催:気楽会
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愛用してたipodが水没してしまったR-1です。こんばんわ。バックライトが点かなくなりました(泣)

先日現場で面白いものが見れたのでその話。
今行っている現場近くで大島方面へ送電する為のかなり高い鉄塔を何基も建てているんですけど建てた後、それに電線を張る場合ってどうすると思います?

あれってヘリコプター使ってたんですね。すごい爆音がするなと思ったら近くで低空飛行しているヘリが鉄塔に向ってメインになるワイヤーを垂らしてて、固定した後次の鉄塔に向って飛んで行った。後はこれの繰り返し。メインのワイヤーを張ったらそれを使って他の電線を渡してやる。

なるほどね。こうやってたんだ。(作業を眺めてたら写真撮るのすっかり忘れてた。)

ちなみに鉄塔は鳶職人が数人がかりでウインチみたいなので資材を引っ張り上げながら人力で組み上げている。
いつも思うけど安全帯を着けているとはいえ、細い資材の上での作業は見ている方が怖い。
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 かずきです。震災から1年を迎えた去る11日夜、内湾一帯で行われた「3月11日からのヒカリ」プロジェクト。気楽会も協力団体として参加しましたが、おかげさまで成功裏に終了することができました。自分もスタッフとして携わることができ、忘れられない一日となりました。ご協力、ご支援いただいた関係機関・団体、個人の皆様、ありがとうございました。この日、暗闇に立ち上がった「ヒカリ」が、震災の記憶を刻む碑となり、気仙沼の希望の灯となることを切に願っています。

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*写真撮影者(協力) 佐藤禎浩さん(気仙沼出身・仙台市在住)


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 一樹君や山田さんも記事を書いてますが、震災発生から1年を迎えた先週の日曜日に「3月11日からのヒカリ」を気仙沼湾内に立ち上げることができました。
 市内を始めとする全国の方々から、本当にたくさんの温かいご支援とご協力を頂き、実現することができました。
 この場をお借りしまして、実行委員一同、心より熱く御礼を申し上げます。

 現在、皆さんから「3月11日からのヒカリ」の写真を募集しております。送っていただいた写真は、ウェブで展示するほか、市内や都内などでの展示会も予定しております。
 

 3月11日からヒカリプロジェクトは、震災の記憶を後世へと伝え、被災地域の復興・発展の力となるように活動を続けていきます。
 今後とも、ご支援とご協力のほどをよろしくお願いします。

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(全体ミーティング)

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(サーチライトの設置)

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(点灯式)


------------
追伸
3月11日の14時46分。
サーチライト設置作業の為、神明崎・コの字岸壁で海に向かって黙祷を捧げました。
湾内はとても穏やかで、潮風が優しく僕の頬をなでてくれました。
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いい夕焼けだ(^^)


今年は季節の変化に気を向ける余裕がありそうだ。


いいことだ(^^)



なんて言ってる矢先に、

今のはちょっと長い地震だったね。


みんな大丈夫かな?



週末は気仙沼で過ごしたアキヒロです。

「3.11ヒカリプロジェクト」と同じ時間帯に
「Re:us気仙沼」が中心となり紫神社でキャンドルナイトが行われていました。
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全国からのメッセージ「上を向いて進もう 希望と笑顔でチバリヨー!!」
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キャンドル一つ一つにメッセージが込められています。
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幻想的な空間でした。
キャンドルの揺れる灯を見つめていると、1年間が走馬燈のように思い返しました。
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1年経ちましたが、気仙沼復興まではまだまだ長い道のりです。
本当に長い道のりだと思います。
でも、必ず今まで以上の「みなとまち 気仙沼」を復活させたいと思います。
東京からできることを去年以上に続けて活動していきます。
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希望の灯は消えず



やまだです。

昨日の3月11日は、僕も仙台から気仙沼へ。

18時からの「3月11日からのヒカリ」プロジェクトの
点灯式に立ち会わせていただきました。

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会場はアーバンマリアチャペルさん。

ここから望む夜の風景がまたなんとも。。。
気仙沼の内湾ってなんて美しいんでしょう。
思わず見入ってしましました。


プロジェクト代表の道有くんと、気仙沼市長。

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点灯式には本当にたくさんの関係者の方々が
いらっしゃってました。


プロジェクト代表・道有くんからの挨拶。

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静かで、深く響く、彼の言葉。


そして、市長の挨拶を挟んで
畠山美由紀さんの詩の朗読。

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心に染み入り、こみ上げるものがありました。


そして、キャンドルに火を灯し、
3つのヒカリが立ち上がりました。

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ヒカリの画像は、ケータイでは上手く撮れなかったので
公式HPから画像スライドでぜひご覧ください。
http://311hikari.jp/live.html

気仙沼の多くの方はご覧になったと思いますが
本当に静かで優しいヒカリの柱でしたね。


実行委員会スタッフの皆さんは、
短い期間で大変なご尽力されたのだと思います。
おかげで、大事な日の、大事な夜になりました。
本当にありがとうございました。

また、気楽会のメンバーを中心に
若い人たち・仲間たちがこれだけのプロジェクトを
一丸となって形にしたことも嬉しかったです。

みなさん、本当におつかれさまでした!
ありがとう!!!

 




かずきです。追悼と復興への願いを込めた「3月11日からのヒカリ」プロジェクト。雪がちらつく中、午後6時30分~内湾3ヶ所に立ち続けてます。天国にいる友人たちもきっと、きっと見てくれてるはず-。

企画メンバーとして、微力ながらこのプロジェクトに関わることができ、忘れられない日となりました。ご協力、ご支援いただいた皆さん、本当ありがとうございました。

消灯まで、あと10分-。ヒカリが消える瞬間まで、しっかり見届けたいと思います!





「3月11日からのヒカリ」プロジェクト、点灯まであと4時間。スタッフ全員集結のもと、最終ミーティングです。準備は万端。あとは成功を祈るのみ。皆さん、よろしくお願いします!





明日で震災から1年が経ちますね。こんばんわR-1です。

思い返せば1年前の3/11は神奈川へ出張に行ってたっけ。
この一週間震災関係の特番が毎日の様にやっていてそれを見ていると、向こうで震災直後の映像をテレビでずっと見ていたのを思い出した。気仙沼が火の海に包まれている映像を。

東京でも交通機関が完全にマヒしていたし、そんな状況下で気仙沼まで帰る手段が存在するのかどうか・・・
町がどんな状態になっているか分からないし、帰れたとしてもその中で何ができるか。家族や親戚、友達は無事か。誰かに連絡を取ろうにも連絡が付かない。何とかかんとか気仙沼に戻ってこれるまでの4日間ずっと気が気ではなかった。

千厩あたりから気仙沼に向うまでの道中に感じたいつもとは明らかに違う異様な雰囲気は今でもハッキリ覚えている。そして泥だらけになっていた家の周りや津波の威力を物語っていた無数の自動車の残骸達。

1年たった今、僕の家の周りは震災前の様にほとんど元通りだ。だがそれが錯覚させる。町の復興にはまだまだ時間が掛かるという事を。仕事で出入りしている被災地は見渡す限り何もなくなっている。夕方満潮時刻になれば現場近くの道路だったところが川のようになる。
でも日1日と鉄塔や電柱がどんどん立って行くし残っている建物の復旧工事があちこちで行われている。現場にいると少しずつだけど復興に向って進んでいるのだと実感する。

僕自身何ができるか分からないけど仕事という側面からだったら地元の復興に貢献できると信じ、前に進んで行こうと思う。


かずきです。被災した南気仙沼小学校で先日、早稲田大ボランティアセンターの学生の皆さんの片付け作業の様子を見る機会があり、1年ぶりに校舎内に入ることができました。

「あの日」、子供たちと一夜を過ごした3階の教室にも自然と足が。見たくない気持ちと、もう一度、この目にとどめておきたい思いと。高鳴る鼓動を抑え、いざ教室へ。足を踏み入れた瞬間、頭の中が真っ白に。すべての出来事が、走馬灯のように一気に脳裏を駆け巡りました。

子供たちの机やいす、絵などの作品、ロッカー、黒板、布団代わりに破いたカーテンなどなど。ほとんど、当時の状態で残ってました。

なんにも変わってない。時間は止まったまま-。ただ一つ変わったのは、少しずつ片付けられていく周りの景色、そして日常生活を当たり前のように過ごそうとしている自分自身の心でした。


震災から間もなく一年。今一度、原点に戻らなきゃと、思ってます。この場所が、すべての始まりなのだから-。





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