気楽会の観光案内課
第30回6月12日(日)参加者募集中です。
第30回「気楽会の観光案内課」
日時:2016年6月12日(日)9:00~16:00
集合場所:気仙沼市役所
参加費:2000円
お問い合わせはメールで
kesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp 主催:気楽会
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・その他、管理者側から見て不適切だと判断する書込み ご協力お願いします。
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遠くの防災無線から市長の声が聞こえた後に1分間のサイレンが鳴り響いた。
目を閉じ、少し頭を下げて、黙祷を捧げた。
8月11日14:46は安波山の山頂で迎えた。
山頂から見た気仙沼の街。
津波の被害が一目でわかるが、それ以外に顕著に確認できたのは
海面の上昇だ。
いや、海面の上昇ではなく、地盤沈下だ。
満潮が近いせいか、至る所で冠水が始まっていた。
東京に住んでいると入ってくる情報の量が違います。
ほんとにまるっきり少なくなってしまって、この地盤沈下・冠水の問題などは報道されていません。
どんどん報道が減り続けて、風化されそうです。
住んでいた場所に戻りたいという気持ちはみんな同じだと思います。
10、20年かかるとも言われています。
多くの方に復興まで時間がかかるということを知らせることが私たちの役目だと思います。
東日本大震災を風化させない、過去にさせない。
黙祷を捧げながらそう考えました。
気楽会東京支部 アキヒロでした。
目を閉じ、少し頭を下げて、黙祷を捧げた。
8月11日14:46は安波山の山頂で迎えた。
山頂から見た気仙沼の街。
津波の被害が一目でわかるが、それ以外に顕著に確認できたのは
海面の上昇だ。
いや、海面の上昇ではなく、地盤沈下だ。
満潮が近いせいか、至る所で冠水が始まっていた。
東京に住んでいると入ってくる情報の量が違います。
ほんとにまるっきり少なくなってしまって、この地盤沈下・冠水の問題などは報道されていません。
どんどん報道が減り続けて、風化されそうです。
住んでいた場所に戻りたいという気持ちはみんな同じだと思います。
10、20年かかるとも言われています。
多くの方に復興まで時間がかかるということを知らせることが私たちの役目だと思います。
東日本大震災を風化させない、過去にさせない。
黙祷を捧げながらそう考えました。
気楽会東京支部 アキヒロでした。
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やまだ@仙台です。
昨日は、早朝から気仙沼に行き、
仲町大通りの七夕設置をお手伝いしてきました!
朝9時に集合して、気楽会メンバーと
仲町大通りのみなさんとでともに設置作業です。
仲町大通りの風景は変わってしまいましたが
懐かしい顔ぶれのみなさんにお会いすると
例年のみなとまつりの様子が思い出されますね。
僕は最初から上に上がってお手伝いしてたので
下からの準備の様子はないのですが、
七夕数本を建物の上から吊り下げつつ
船首さんからお借りした大漁旗も飾っていきます。
こちらが完成風景です。
仲町に残ったこちらの建物を使わせていただき
このように七夕を設置しました。
(道路では許可が取れないので)
思わず見上げてしまう迫力です。
なんとも言えない色々な感情がこみあげてきます。
たくさんの方が車や足を止めてみていただいたようです。
仲町大通りのみなさんがテントも設置して
無料で麦茶振る舞いもされていました。
こういうサービス精神は素晴らしいですね(^^
(短冊に願いをかいて、笹にも飾ってもらってました)
仲町大通りのみなさんや、七夕づくりをお手伝いして
いただいたみなさんによる寄せ書きも掲げました。
来年はどのような形で実施できるか分かりませんが
また必ず戻ってきたいと思います!!
一歩一歩でも前に進み、何か形にしていきたいですね。
さて、ところで、東京から自転車でやってきた
世界のTKさんも、もちろんいらっしゃってましたよ(^^
かずちゃんと2人、おだづなTシャツを来て並びます☆
丸桂・ともさんとのツーショット。
気楽会が誇る天然系の2人のトークは
微妙なかみ合わなさを見せていましたね(^^;
そして、TKさんはまた自転車で帰ろうとしてましたが
雨もぱらぱら降っていて大変そうだったので
僕が仙台まで乗っけていくことにしました(^^;
そしたら、なんと奇跡が!!
途中のフルセイルコーヒー川崎店で休憩していたところ
TKさんに一本の電話がっ!
たまたまTKさんのご親戚が東京までトラックで行く用事が
あるから、乗っけていくぞ、という連絡があったんですっ。
いやぁ、すごいタイミングです。
ちょっとずれてたら、乗れなかったですからね~。
ということで、40分くらい川崎店で待っていたところで
トラックが到着(デカい!!)。
ということで、TKさんは無事に(?)
トラックで東京まで帰ったのでした(^^;
TKさん、次は気にせず、普通に帰ってきてくださいね☆
かずきです。震災で、すっかり変わり果てた気仙沼市内の街並みですが、自分にはどうしても、忘れたくない、記憶に残しておきたい情景があります。たくさんの人が集う最高の2日間。みんなが笑い、そして時に涙したあの頃。。今も、あの場所を車で通るたび、走馬灯のように蘇ってくるのです。
気仙沼みなとまつりの風物詩だった仲町大通りの「漁の七夕」。商店街の各家庭で丹精込めて作った色とりどりの七夕飾りが毎年、まつりに花を添えてきました。
*昨年のみなとまつりより
気楽会にとって、仲町大通りの七夕は特別な存在でした。気仙沼ホルモンの屋台を初めて出店した4年前から毎年、まつりに参加させていただく条件として、みんなの力を結集して気楽会としての七夕をつくり、飾らせていただきました。
*昨年の制作作業の様子
1ヶ月以上前から、毎晩、定例会の拠点だったコヤマ山荘に集まって、みんなで飾り付け作業。まつりが近づくにつれ、仲間との一体感や団結が自然と生まれていきました。久々に写真を見るだけで、目頭が熱くなってしまいます。。気楽会は、まさに仲町大通りに育てていただき、多くのことを学ばせてもらいました。
震災で仲町大通りの商店街は壊滅的な被害を受けました。多くの建物が津波で流出してしまいました。
そんな中、震災直後、商店街の倉庫に保管されていた七夕飾りの竹篭が、別の場所に流れ着いたがれきの中からほぼ無傷の状態で奇跡的に見つかったのです。「1個でもいいから七夕をつくれないか」。発見した商店街の男性の熱意によって、なんと、
今年も本21日(日)、1日限定で復活することになりました!
去る15、16日の両日、仲町地区の方も多く入居されている市民グラウンド(笹が陣)にある仮設住宅の皆さんのご協力を得て、仲町大通り会、気楽会、そしてボランティアの方々を交えて花折りや飾りつけの制作作業を行いました。
こちらがほぼ完成した今年の七夕飾り。たくさんの皆さんの思い、港町・気仙沼の復興への願いが込められています。商店街の皆さんも震災後は離れ離れとなっていましたが、今回の七夕づくりをきっかけに、久々に再会を果たすことができ、とても喜んでいました。
七夕は、仲町大通り沿いの建物(左側)を活用し、所有者のご協力を得て設置することになりました。周囲はいまだがれきが残り、冠水した状態ですが、ここに飾ることに大きな意味があると思っています。
【仲町大通りの「漁の七夕」設置時間】
本21日(日)午前10時~午後4時(予定)
なお、本日、気仙沼小学校で開催される「はまらいんや祭」会場でも、七夕を設置します(時間は午前10時から午後4時=予定)。
きょう1日限りで“復活”する伝統の七夕をどうぞ見に来てください!
気仙沼みなとまつりの風物詩だった仲町大通りの「漁の七夕」。商店街の各家庭で丹精込めて作った色とりどりの七夕飾りが毎年、まつりに花を添えてきました。
*昨年のみなとまつりより
気楽会にとって、仲町大通りの七夕は特別な存在でした。気仙沼ホルモンの屋台を初めて出店した4年前から毎年、まつりに参加させていただく条件として、みんなの力を結集して気楽会としての七夕をつくり、飾らせていただきました。
*昨年の制作作業の様子
1ヶ月以上前から、毎晩、定例会の拠点だったコヤマ山荘に集まって、みんなで飾り付け作業。まつりが近づくにつれ、仲間との一体感や団結が自然と生まれていきました。久々に写真を見るだけで、目頭が熱くなってしまいます。。気楽会は、まさに仲町大通りに育てていただき、多くのことを学ばせてもらいました。
震災で仲町大通りの商店街は壊滅的な被害を受けました。多くの建物が津波で流出してしまいました。
そんな中、震災直後、商店街の倉庫に保管されていた七夕飾りの竹篭が、別の場所に流れ着いたがれきの中からほぼ無傷の状態で奇跡的に見つかったのです。「1個でもいいから七夕をつくれないか」。発見した商店街の男性の熱意によって、なんと、
今年も本21日(日)、1日限定で復活することになりました!
去る15、16日の両日、仲町地区の方も多く入居されている市民グラウンド(笹が陣)にある仮設住宅の皆さんのご協力を得て、仲町大通り会、気楽会、そしてボランティアの方々を交えて花折りや飾りつけの制作作業を行いました。
こちらがほぼ完成した今年の七夕飾り。たくさんの皆さんの思い、港町・気仙沼の復興への願いが込められています。商店街の皆さんも震災後は離れ離れとなっていましたが、今回の七夕づくりをきっかけに、久々に再会を果たすことができ、とても喜んでいました。
七夕は、仲町大通り沿いの建物(左側)を活用し、所有者のご協力を得て設置することになりました。周囲はいまだがれきが残り、冠水した状態ですが、ここに飾ることに大きな意味があると思っています。
【仲町大通りの「漁の七夕」設置時間】
本21日(日)午前10時~午後4時(予定)
なお、本日、気仙沼小学校で開催される「はまらいんや祭」会場でも、七夕を設置します(時間は午前10時から午後4時=予定)。
きょう1日限りで“復活”する伝統の七夕をどうぞ見に来てください!
お盆休みはいかがお過ごしでしたか?こんばんわR-1です。
僕は青森まで墓参りに行ってきましたよ。
八戸に行って来たんですけど、今回は少し足を延ばし親戚が住む三沢まで行く事に。
三沢と言ったら米軍基地がある町。基地近くには英語の看板が結構ありにアメリカンな雰囲気が漂っていた。(心の中で「欧米か」とツッ込んでみたりする。)
昼近かったんで何か食べようと思いあたりを見渡すと「バラ焼き」の店があったので入る事に。
「バラ焼き」って言ったら十和田かと思ってたんですけど、三沢の地元の人もよく食べるらしい。気仙沼で言うホルモンみたいな位置づけみたい。味のほうはB級グルメでもよく知られているだけあって美味かったですよ。
そして休みが終わり再び馬車馬のように働く日々に戻るのであった。(泣)
PS
TKへ・・・自転車の旅お疲れ様。東京から来るなんてホントすげぇな。
僕は青森まで墓参りに行ってきましたよ。
八戸に行って来たんですけど、今回は少し足を延ばし親戚が住む三沢まで行く事に。
三沢と言ったら米軍基地がある町。基地近くには英語の看板が結構ありにアメリカンな雰囲気が漂っていた。(心の中で「欧米か」とツッ込んでみたりする。)
昼近かったんで何か食べようと思いあたりを見渡すと「バラ焼き」の店があったので入る事に。
「バラ焼き」って言ったら十和田かと思ってたんですけど、三沢の地元の人もよく食べるらしい。気仙沼で言うホルモンみたいな位置づけみたい。味のほうはB級グルメでもよく知られているだけあって美味かったですよ。
そして休みが終わり再び馬車馬のように働く日々に戻るのであった。(泣)
PS
TKへ・・・自転車の旅お疲れ様。東京から来るなんてホントすげぇな。
TKです。
肝心のゴールの際、携帯の電池がなくなり、リアルタイムでの到着報告遅くなって申し訳ございませんでした。
応援して下さった皆さんありがとうございました。
正直、自分もふざけ半分で東京にチャリで行くと宣言しましたが、内心では東京から新幹線に自転車を持ち込み(自転車収納バックに入れて車内に持ち込める)、仙台まで行って、仙台からチャリで気仙沼と考えてました。
しかし、マックスからブログで報告してよといわれ、ブログに書いたら、東京から気仙沼までオールチャリで行かなければ行けない空気になってしまい、結局本当に気仙沼までチャリで来てしまいました。
そもそも今まで自転車で走った最長距離が東京から伊豆下田までの180キロで、今回の気仙沼までの凡そ500キロの距離はとても考えられない数字でした。
しかし、いざ東京を出発してみると、脚の調子が絶好調に気付く。
第一休憩所である大宮まで50分程(なかなか早いタイム)で行き、尚且つ、全く疲れず、「あれ、ひょっとしてこの脚の調子なら本当に気仙沼行けるかも」
と手応えを感じる様になりました。
以下、ダイジェクトで振り返ります。
国分寺~大宮間(約30キロ)(13:30~14:20)
大宮のマックで最初のブログをアップする。
しかし、ここでトラブル発生!
書き終えた長めのブログを送信する際、誤って文章を消してしまい、またイチから書き直す羽目に。
早く出発したいのに、ブログアップで時間を取られてしまい、結局マックで1時間も過ごす事に。
ブログをアップし、気を取り直して、出発!
と思ったら、タイヤの具合がおかしい。
あれ、まさか!
うわぁ、パンクだぁ!
一年に一度あるかないかのパンクなのに、本当に運が悪い。
20分ぐらいで急いで修理し、やっと大宮を脱出。
結局、大宮滞在時間が1時間半にもなってしまう。
大宮~宇都宮間(15:30~19:00)
脚の調子は絶好調なのに、猛暑のせいで、喉が頻繁に渇き、熱中症対策の為に何度も自販機に駆け込む事に。
宇都宮までは大宮を少し過ぎてからは、東北新幹線の下道をただひたすら直進するのみというありがたいコースレイアウト。
しかし、舗装の状態が最悪で、凸凹が多く、スピードが殺され、スピードが出ないばかりか常にガタガタと自転車への振動が大きく、体力を必要以上に奪われる。
猛暑と悪路のせいで、宇都宮到着に想定していた以上の時間がかかる。
宇都宮~白河市(19:00~1:30)
宇都宮で餃子を食べようと楽しみにして走って来たものの、猛暑のせいで食欲がなくなり、餃子はどうでもよくなっていた。
宇都宮をスルーし、一気に那須高原へと向かう。
宇都宮を過ぎ、コンビニがあったら休憩しようと思ったら、走れど走れど全然コンビニがなく、真っ暗闇な人気のない道が暫く続く。
やっと見つけたコンビニに入るも、食欲が全然なく、栄養ゼリーと飲み物だけを買って補給。
那須高原市は坂道が多く、真っ暗闇な高原を走らされるのではないかと戦々恐々としてたが、市内に入ると意外に街並みは明るく、どこが高原?と拍子抜けする程、普通の街であった。
白河市~伊達市(1:30~5:00)
ぼちぼち眠気が出て、脚への疲労も少し感じてきたが、街灯が一つもない真っ暗な道が多く、休憩したくても暗すぎて怖くて強制的に休憩なしの走行を余儀なくされる
まさに一寸先は真っ暗で、落とし穴でも仕掛けられたら確実にひっかかる程の暗闇。
先日、心霊番組を観た事もあり、夜道を人が歩いてたら確実にそれはお化けに違いないと思い込む。
絶対ここでパンクとかのトラブルがありませんように!と祈りながら時速40キロのハイペースで必死に走る。
今思えばこの区間の脚の調子が一番良かった様に思える。
伊達市~仙台(9:00~12:00)
伊達市の健康ランドで三時間程の休憩を経て、出発。
雨が降っている。
宮城県の天気予報はマークしてたが、福島の天気はノーマークだった。
カッパを着込み、宮城県を目指す。
脚の調子はまあまあ。
しかし、一旦、長めの休憩を取った事が逆に脚の調子を落とす事になり、休憩前に比べると脚が重く感じる。
白石市に入る手前、長ーい坂道が続き、ここで一気に心身供に急ブレーキがかかる。
宮城県白石市の看板を見て心が踊るも、体力の下降具合が顕著にわかる。
睡眠をほとんど取ってない事もあり、頭がボーっとして、ただただ無気力にペダルを踏んでるだけで、どこをどう走って来たかあまり記憶がない。
そのボーと走ってたお陰で、道を間違え、仙台の西側方向に行ってしまい、正常なルートに戻るも10キロ近く無駄な距離を走ってしまう。
このミスは非常に大きかった。
やる気もなくなり、気仙沼に行く気力がほぼ無くなりかけ、利府を過ぎたあたりで、公園のベンチに横になり、30分ぐらい気を失う。
起きてから自転車に乗るも、走る気力がわかない。
脚はそこまで疲弊してないが気持ちが全く乗らないのである。
仙台~気仙沼(12:00~19:00)
この区間がやはり一番辛かった。
気持ちが疲弊しきってた上に、頼みの綱のアイフォンの電池が切れてしまい、Googleマップが使えなくなってしまった。
一応、電池が切れた時の事を考えて、気仙沼までの道のりをしっかりGoogleマップで頭に焼き付けたつもりだったが、この記憶が曖昧になり、道を何度も間違う羽目に。
間違いじゃないかと思ったら、人に聞けばいいが、田舎道だと人が殆ど歩いてないし、標識も暫く出てこない。
だから、暫く走って、標識が出て来て、道が間違った事に気付くのである。
その間違いを何度か繰り返すうちに、本当に嫌気が差し、気仙沼行きを諦めようと思うようになる。
まあ諦めた所で、今更戻るという選択肢もあり得ず、結局気仙沼に行かなければ行けないのだが、、
本来なら東京から450キロで着くはずなのに、最終走行距離が490キロだから、40キロ分ミスった事になる。
Googleマップではじき出してくれた最短ルートは諦め、確実に気仙沼に導いてくれる標識に従って行く事にする。
今思うと346号をただ走れば簡単に気仙沼に着くのである。
気持ちが折れかけ、足取りが重いまま、タダひたすら漕ぐ。
24時間テレビのマラソンランナーの気分。
しかし、沿道で誰かが声援を送ってくれる訳でもなく、ゴールする所でゴールテープを持って、気仙沼市民が大声援で迎えてくれる訳でもない。
本当に無益でバカげた事にチャレンジしてしまった事に後悔の念と、ブログを書いた為に後戻り出来なくなったのであり、ブログを書く事を勧めたマックスに怒りを覚えながら無気力でペダルを踏むのだった。
本来なら時速30キロペースで走れるところが時速20キロペースしかでない。
坂道があるともっと悲惨で5キロぐらいしか出ない。
それでもただ、漕ぎ続くのみ。
しかし、「気仙沼市へようこそ」という看板が見えた瞬間に、一気に疲れがぶっ飛び、今までの足取りの重さが何だったのかと思うぐらい、脚が完全復活。
時速40キロぐらいの快ペースで一気に気仙沼市内を目指す。
本吉を過ぎてからは、遂に被災した生の気仙沼を目にする。
今まで散々テレビや写真で知ってたはずなのに、生の惨状を見ると自然に涙が出てくる。
無念の死を遂げた人々の事を考えると、ペダルにも一層力が入る。
気仙沼に入ってから自分でも信じられない神がかりなペースで予定より30分ぐらい速く遂に気仙沼に到着!
そして、ゴールで思わぬ、サプライズがあった。
気仙沼の同級生達がゴールテープならぬゴール板を持って待ち構えてくれたのである!!
その紙で即席で作ったというゴール板に勢いよく飛び込んで、歓喜のゴール!
この嬉しいサプライズのお陰で、490キロの自転車旅も報われた気持ちになりました。
本当にバカげたチャレンジでしたが、今はちょっぴりやって良かったと思います。
今後東京から気仙沼への交通手段が新幹線ではなく、自転車がスタンダードになる日が来るかもしれません
くだらないチャレンジを温かく見守ってくれてありがとうございました。
尚、自分は写真を撮ってないので、昨日のゴール後の写真などはマックスブログ及び、道有FACEbookを参照下さい。
肝心のゴールの際、携帯の電池がなくなり、リアルタイムでの到着報告遅くなって申し訳ございませんでした。
応援して下さった皆さんありがとうございました。
正直、自分もふざけ半分で東京にチャリで行くと宣言しましたが、内心では東京から新幹線に自転車を持ち込み(自転車収納バックに入れて車内に持ち込める)、仙台まで行って、仙台からチャリで気仙沼と考えてました。
しかし、マックスからブログで報告してよといわれ、ブログに書いたら、東京から気仙沼までオールチャリで行かなければ行けない空気になってしまい、結局本当に気仙沼までチャリで来てしまいました。
そもそも今まで自転車で走った最長距離が東京から伊豆下田までの180キロで、今回の気仙沼までの凡そ500キロの距離はとても考えられない数字でした。
しかし、いざ東京を出発してみると、脚の調子が絶好調に気付く。
第一休憩所である大宮まで50分程(なかなか早いタイム)で行き、尚且つ、全く疲れず、「あれ、ひょっとしてこの脚の調子なら本当に気仙沼行けるかも」
と手応えを感じる様になりました。
以下、ダイジェクトで振り返ります。
国分寺~大宮間(約30キロ)(13:30~14:20)
大宮のマックで最初のブログをアップする。
しかし、ここでトラブル発生!
書き終えた長めのブログを送信する際、誤って文章を消してしまい、またイチから書き直す羽目に。
早く出発したいのに、ブログアップで時間を取られてしまい、結局マックで1時間も過ごす事に。
ブログをアップし、気を取り直して、出発!
と思ったら、タイヤの具合がおかしい。
あれ、まさか!
うわぁ、パンクだぁ!
一年に一度あるかないかのパンクなのに、本当に運が悪い。
20分ぐらいで急いで修理し、やっと大宮を脱出。
結局、大宮滞在時間が1時間半にもなってしまう。
大宮~宇都宮間(15:30~19:00)
脚の調子は絶好調なのに、猛暑のせいで、喉が頻繁に渇き、熱中症対策の為に何度も自販機に駆け込む事に。
宇都宮までは大宮を少し過ぎてからは、東北新幹線の下道をただひたすら直進するのみというありがたいコースレイアウト。
しかし、舗装の状態が最悪で、凸凹が多く、スピードが殺され、スピードが出ないばかりか常にガタガタと自転車への振動が大きく、体力を必要以上に奪われる。
猛暑と悪路のせいで、宇都宮到着に想定していた以上の時間がかかる。
宇都宮~白河市(19:00~1:30)
宇都宮で餃子を食べようと楽しみにして走って来たものの、猛暑のせいで食欲がなくなり、餃子はどうでもよくなっていた。
宇都宮をスルーし、一気に那須高原へと向かう。
宇都宮を過ぎ、コンビニがあったら休憩しようと思ったら、走れど走れど全然コンビニがなく、真っ暗闇な人気のない道が暫く続く。
やっと見つけたコンビニに入るも、食欲が全然なく、栄養ゼリーと飲み物だけを買って補給。
那須高原市は坂道が多く、真っ暗闇な高原を走らされるのではないかと戦々恐々としてたが、市内に入ると意外に街並みは明るく、どこが高原?と拍子抜けする程、普通の街であった。
白河市~伊達市(1:30~5:00)
ぼちぼち眠気が出て、脚への疲労も少し感じてきたが、街灯が一つもない真っ暗な道が多く、休憩したくても暗すぎて怖くて強制的に休憩なしの走行を余儀なくされる
まさに一寸先は真っ暗で、落とし穴でも仕掛けられたら確実にひっかかる程の暗闇。
先日、心霊番組を観た事もあり、夜道を人が歩いてたら確実にそれはお化けに違いないと思い込む。
絶対ここでパンクとかのトラブルがありませんように!と祈りながら時速40キロのハイペースで必死に走る。
今思えばこの区間の脚の調子が一番良かった様に思える。
伊達市~仙台(9:00~12:00)
伊達市の健康ランドで三時間程の休憩を経て、出発。
雨が降っている。
宮城県の天気予報はマークしてたが、福島の天気はノーマークだった。
カッパを着込み、宮城県を目指す。
脚の調子はまあまあ。
しかし、一旦、長めの休憩を取った事が逆に脚の調子を落とす事になり、休憩前に比べると脚が重く感じる。
白石市に入る手前、長ーい坂道が続き、ここで一気に心身供に急ブレーキがかかる。
宮城県白石市の看板を見て心が踊るも、体力の下降具合が顕著にわかる。
睡眠をほとんど取ってない事もあり、頭がボーっとして、ただただ無気力にペダルを踏んでるだけで、どこをどう走って来たかあまり記憶がない。
そのボーと走ってたお陰で、道を間違え、仙台の西側方向に行ってしまい、正常なルートに戻るも10キロ近く無駄な距離を走ってしまう。
このミスは非常に大きかった。
やる気もなくなり、気仙沼に行く気力がほぼ無くなりかけ、利府を過ぎたあたりで、公園のベンチに横になり、30分ぐらい気を失う。
起きてから自転車に乗るも、走る気力がわかない。
脚はそこまで疲弊してないが気持ちが全く乗らないのである。
仙台~気仙沼(12:00~19:00)
この区間がやはり一番辛かった。
気持ちが疲弊しきってた上に、頼みの綱のアイフォンの電池が切れてしまい、Googleマップが使えなくなってしまった。
一応、電池が切れた時の事を考えて、気仙沼までの道のりをしっかりGoogleマップで頭に焼き付けたつもりだったが、この記憶が曖昧になり、道を何度も間違う羽目に。
間違いじゃないかと思ったら、人に聞けばいいが、田舎道だと人が殆ど歩いてないし、標識も暫く出てこない。
だから、暫く走って、標識が出て来て、道が間違った事に気付くのである。
その間違いを何度か繰り返すうちに、本当に嫌気が差し、気仙沼行きを諦めようと思うようになる。
まあ諦めた所で、今更戻るという選択肢もあり得ず、結局気仙沼に行かなければ行けないのだが、、
本来なら東京から450キロで着くはずなのに、最終走行距離が490キロだから、40キロ分ミスった事になる。
Googleマップではじき出してくれた最短ルートは諦め、確実に気仙沼に導いてくれる標識に従って行く事にする。
今思うと346号をただ走れば簡単に気仙沼に着くのである。
気持ちが折れかけ、足取りが重いまま、タダひたすら漕ぐ。
24時間テレビのマラソンランナーの気分。
しかし、沿道で誰かが声援を送ってくれる訳でもなく、ゴールする所でゴールテープを持って、気仙沼市民が大声援で迎えてくれる訳でもない。
本当に無益でバカげた事にチャレンジしてしまった事に後悔の念と、ブログを書いた為に後戻り出来なくなったのであり、ブログを書く事を勧めたマックスに怒りを覚えながら無気力でペダルを踏むのだった。
本来なら時速30キロペースで走れるところが時速20キロペースしかでない。
坂道があるともっと悲惨で5キロぐらいしか出ない。
それでもただ、漕ぎ続くのみ。
しかし、「気仙沼市へようこそ」という看板が見えた瞬間に、一気に疲れがぶっ飛び、今までの足取りの重さが何だったのかと思うぐらい、脚が完全復活。
時速40キロぐらいの快ペースで一気に気仙沼市内を目指す。
本吉を過ぎてからは、遂に被災した生の気仙沼を目にする。
今まで散々テレビや写真で知ってたはずなのに、生の惨状を見ると自然に涙が出てくる。
無念の死を遂げた人々の事を考えると、ペダルにも一層力が入る。
気仙沼に入ってから自分でも信じられない神がかりなペースで予定より30分ぐらい速く遂に気仙沼に到着!
そして、ゴールで思わぬ、サプライズがあった。
気仙沼の同級生達がゴールテープならぬゴール板を持って待ち構えてくれたのである!!
その紙で即席で作ったというゴール板に勢いよく飛び込んで、歓喜のゴール!
この嬉しいサプライズのお陰で、490キロの自転車旅も報われた気持ちになりました。
本当にバカげたチャレンジでしたが、今はちょっぴりやって良かったと思います。
今後東京から気仙沼への交通手段が新幹線ではなく、自転車がスタンダードになる日が来るかもしれません
くだらないチャレンジを温かく見守ってくれてありがとうございました。
尚、自分は写真を撮ってないので、昨日のゴール後の写真などはマックスブログ及び、道有FACEbookを参照下さい。
携帯の電池がほとんどないのでブログアップ控えてました。
宮城県に入ってから絶不調に陥り、更に頼みの綱のアイフォンのGoogleマップもアイフォンの電池切れで使えなくなり、何度も道を間違え、やっと今佐沼まで来ました。
残り42キロです。
って今の走行距離が445キロなので、最終的には490キロの走行距離になりそうです。
出来ればあと二時間以内のゴールを目指します。
宮城県に入ってから絶不調に陥り、更に頼みの綱のアイフォンのGoogleマップもアイフォンの電池切れで使えなくなり、何度も道を間違え、やっと今佐沼まで来ました。
残り42キロです。
って今の走行距離が445キロなので、最終的には490キロの走行距離になりそうです。
出来ればあと二時間以内のゴールを目指します。
この看板みるとテンションあがりますが、今大苦戦中。
脚が疲れで重い上に、坂道続きで、時速15キロぐらいしか出ません。
どうなる事やら
脚が疲れで重い上に、坂道続きで、時速15キロぐらいしか出ません。
どうなる事やら
二、三時間健康ランドで仮眠取るつもりが、身体と頭が興奮状態で寝れませんでした。
脚の調子はどうなんだろう。
てか軽く雨降ってるし!雨に濡れたくないから、何とか雨降る前に気仙沼着くというのが目標だったのに、、
急いで気仙沼早く着く意味ない?!
脚の調子はどうなんだろう。
てか軽く雨降ってるし!雨に濡れたくないから、何とか雨降る前に気仙沼着くというのが目標だったのに、、
急いで気仙沼早く着く意味ない?!