気楽会の観光案内課
第30回6月12日(日)参加者募集中です。
第30回「気楽会の観光案内課」
日時:2016年6月12日(日)9:00~16:00
集合場所:気仙沼市役所
参加費:2000円
お問い合わせはメールで
kesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp 主催:気楽会
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・いやがらせ、悪口、脅しなど、当団体・個人等を野次ったり、傷つけたりする目的で利用すること
・その他、管理者側から見て不適切だと判断する書込み ご協力お願いします。
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歓声と熱気が立ち込める中、チャーミーは叫んだ。
「がんばれ日本!気仙沼をなめるなよ!」
それが耳に届いた瞬間、鳥肌が立った。
次の瞬間、
「ごおおぉぉー」と雄たけびに似た歓声が
地響きとなりライブ会場が震えた。
5月5日の夜 新宿LOFTでの
ラフィンノーズのライブ
私は最前列でもみくちゃになりながら、チャーミーの歌う姿を追いかけていた。
パンクロックバンドの重鎮、ラフィンノーズ。
そのヴォーカルのチャーミーこと小山祐さんは気仙沼出身。
あることがきっかけで、チャーミーこと小山さんにお世話になり、
連絡を取り合うようになった。
今回のライブはゲストで入場させてもらった。
私は元パンクキッズだったのでラフィンは大ファン。
今回は「MOSH BOYZ」というイベントで数多くのバンドが出演する。
ラフィンノーズの出番は最後から2番目。
イベントが始まって3時間後にようやく登場。
ラフィンを待ちわびたオーディエンスは1曲目からクライマックスのような盛り上がりを見せた。
ダイブ(人がいるところに飛び込む、胴上げの手荒い感じ)に
モッシュ(身体を激しく揺らし、飛び跳ねて人にぶつかる)は当たり前。
私も負けじと参加するが圧倒的パワーに押され、何度も跳ね返された。
それでも何度も人の渦に飛び込んだ。
足は攣っていたが、そんなの関係なかった。
そして、ラスト前の「GET THE GLORY」。
ライブ会場は一体となり、「栄光を掴め」と全員が叫んだ。
私も「栄光を掴め!」と、心から叫んだ。
そして私は誰かの肩を借りて、数年ぶりにダイブした。
人の頭や手の上を転がりながら、チャーミーの前に着地した。
私が着ていたTシャツの「おだづなよ」の文字を見て、笑ってくれた気がした。
ライブ後にチャーミーさんとPONさんに会い、固い握手を交わしました。
実際に会ってみないとわからないオーラとやさしさがありました。
私がライブ前に物販のお姉さんに渡した復興Tシャツの「おだづなよTシャツ」は
無事小山さんに届き、翌日に小山さんからメールをいただきました。
今後のラフィンのライブでおだづなよTシャツを
着ているチャーミーを見られるかもしれません。
ラフィンノーズの音楽に出会ってよかったとつくづく思う
気楽会東京支部のアキヒロでした。
「がんばれ日本!気仙沼をなめるなよ!」
それが耳に届いた瞬間、鳥肌が立った。
次の瞬間、
「ごおおぉぉー」と雄たけびに似た歓声が
地響きとなりライブ会場が震えた。
5月5日の夜 新宿LOFTでの
ラフィンノーズのライブ
私は最前列でもみくちゃになりながら、チャーミーの歌う姿を追いかけていた。
パンクロックバンドの重鎮、ラフィンノーズ。
そのヴォーカルのチャーミーこと小山祐さんは気仙沼出身。
あることがきっかけで、チャーミーこと小山さんにお世話になり、
連絡を取り合うようになった。
今回のライブはゲストで入場させてもらった。
私は元パンクキッズだったのでラフィンは大ファン。
今回は「MOSH BOYZ」というイベントで数多くのバンドが出演する。
ラフィンノーズの出番は最後から2番目。
イベントが始まって3時間後にようやく登場。
ラフィンを待ちわびたオーディエンスは1曲目からクライマックスのような盛り上がりを見せた。
ダイブ(人がいるところに飛び込む、胴上げの手荒い感じ)に
モッシュ(身体を激しく揺らし、飛び跳ねて人にぶつかる)は当たり前。
私も負けじと参加するが圧倒的パワーに押され、何度も跳ね返された。
それでも何度も人の渦に飛び込んだ。
足は攣っていたが、そんなの関係なかった。
そして、ラスト前の「GET THE GLORY」。
ライブ会場は一体となり、「栄光を掴め」と全員が叫んだ。
私も「栄光を掴め!」と、心から叫んだ。
そして私は誰かの肩を借りて、数年ぶりにダイブした。
人の頭や手の上を転がりながら、チャーミーの前に着地した。
私が着ていたTシャツの「おだづなよ」の文字を見て、笑ってくれた気がした。
ライブ後にチャーミーさんとPONさんに会い、固い握手を交わしました。
実際に会ってみないとわからないオーラとやさしさがありました。
私がライブ前に物販のお姉さんに渡した復興Tシャツの「おだづなよTシャツ」は
無事小山さんに届き、翌日に小山さんからメールをいただきました。
今後のラフィンのライブでおだづなよTシャツを
着ているチャーミーを見られるかもしれません。
ラフィンノーズの音楽に出会ってよかったとつくづく思う
気楽会東京支部のアキヒロでした。
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気楽会東京支部のアキヒロです。
復興Tシャツが届きましたので、紹介させていただきます。
胸には『みなとまち気仙沼』
モデルに関してはツッコミなしでお願いします。
そしてバックプリントには 『おだづなよ!!負けてたまるか 気仙沼』
と力強い文字で書いてあります。
着るとご覧の通りに元気になります。
『おだつなよ』とは気仙沼弁で『ふざけるなよ』とかの意味ですが少しニュアンスが違って、震災によってもう一度立ち上がるときの力強さといいますか、気仙沼は負けねぇぞという様々な感情がおだつなよに含まれています。
この復興Tシャツの詳細は http://subahibi.blog87.fc2.com/
でご覧下さい。
何か活動される際は是非着てください。私はこのTシャツを多くの方に拡める運動をします。
ちなみにTシャツの文字は兄マックスが書きました。気持ちが字にこもってますね。着るとほんとに元気になります!
おだづなよ!
復興Tシャツが届きましたので、紹介させていただきます。
胸には『みなとまち気仙沼』
モデルに関してはツッコミなしでお願いします。
そしてバックプリントには 『おだづなよ!!負けてたまるか 気仙沼』
と力強い文字で書いてあります。
着るとご覧の通りに元気になります。
『おだつなよ』とは気仙沼弁で『ふざけるなよ』とかの意味ですが少しニュアンスが違って、震災によってもう一度立ち上がるときの力強さといいますか、気仙沼は負けねぇぞという様々な感情がおだつなよに含まれています。
この復興Tシャツの詳細は http://subahibi.blog87.fc2.com/
でご覧下さい。
何か活動される際は是非着てください。私はこのTシャツを多くの方に拡める運動をします。
ちなみにTシャツの文字は兄マックスが書きました。気持ちが字にこもってますね。着るとほんとに元気になります!
おだづなよ!
おばんです。気楽会東京支部のアキヒロです。
昨日は深夜二時まで仕事をして、今日は今の今まで仕事をしてました。
明日から六連休です。
気仙沼に帰省される方がたくさんおりますが、私は帰省はせずに東京で大型連休を過ごします。
震災を機にと言っては語弊があるかもしれませんが、3月11日以降に人との絆が深まりました。
様々な方と知り合え、藁にもすがる思いの私に手を差しのべてくださった方がたくさんおりました。
感謝の言葉をいくら積み上げても足りません。
『ありがとうございます』の言葉以上に何も見つかりません。
そのくらい感謝しています。
GWはその絆を深めるために恩返しとまでは行きませんがお世話になった方に会いに行きます。
ありがとうございました。そしてこれからも宜しくお願いします。を伝えに
詳細は後日アップいたしますのでご期待ください。
あと最後に言わせてください。
原田新聞店再始動おめでとうございます。
パンコス!ハラハラダさん!!
昨日は深夜二時まで仕事をして、今日は今の今まで仕事をしてました。
明日から六連休です。
気仙沼に帰省される方がたくさんおりますが、私は帰省はせずに東京で大型連休を過ごします。
震災を機にと言っては語弊があるかもしれませんが、3月11日以降に人との絆が深まりました。
様々な方と知り合え、藁にもすがる思いの私に手を差しのべてくださった方がたくさんおりました。
感謝の言葉をいくら積み上げても足りません。
『ありがとうございます』の言葉以上に何も見つかりません。
そのくらい感謝しています。
GWはその絆を深めるために恩返しとまでは行きませんがお世話になった方に会いに行きます。
ありがとうございました。そしてこれからも宜しくお願いします。を伝えに
詳細は後日アップいたしますのでご期待ください。
あと最後に言わせてください。
原田新聞店再始動おめでとうございます。
パンコス!ハラハラダさん!!
気楽会東京支部のアキヒロです。
私の同級生でNYでピアニストとして、活躍している岡本優子さんという方がおります。
彼女の家は岡本製氷さんで今回の震災で冷蔵庫などが多大なる損害を受けました。
私は中学校が一緒でした。
同じクラスは一度もありませんでしたが、
クラス委員(気仙沼中学校では何て言いましたっけ?)のときに
放課後話し合いなどで一緒だったのを覚えています。
現在はNYでジャズピアニストとして活躍されています。
震災後、すぐにチャリティーLIVEを行いました。
チャリティーライブは継続的に開催しています。
http://ameblo.jp/yukookamoto/
元気が少しでも取り戻せると信じてる。」と言いました。
すぐにでも気仙沼に帰りたい気持ちを抑えて、
異国の地で音楽で地元に恩返しをしております。
同級生の活躍は同年代に刺激となり、私ももっと何かしなければならないという気持ちが湧きます。
私も負けてられません。
自分が出来ることは人それぞれです。
得意のジャンルを活かして行動しています。
形は違いますが、「想いは一つ」です。
ただ、もっと何か楽器や絵を勉強していればよかったなと思い始めている今日この頃です。
ちなみにピアノは幼稚園から中学校まで習っていましたが、もう全然弾けません。
日曜日の昼に母親から電話がかかってきた。
「NHKに気楽会が映っているから見て見て」
急いでチャンネルをNHKに切り替えるとそこには
紛れもなく日に焼けた石川遼君が映っていた。
もしかして気楽会に石川遼君が入った!?!?
私は母親に
「その放送は東北版だけだって!」と即座に答えた。
挨拶が遅れました気楽会東京支部のアキヒロです。
テレビではめっきり震災関係を報道する時間が減りました。
唯一NHKは震災について放送しておりますが、
冒頭のような全国版と地方版の違いが起きることは少なくありません。
現地の情報を欲しいと思っているのは私だけではないはずです。
難しいとは思いますが、東京にいてもテレビでローカル放送が見えるようにしてほしいです。
せめて「NHK仙台放送」くらいは放送してほしいです。
1カ月と2週間が経ちました。
原発のニュースが大事なのは重々承知ですが、
宮城、気仙沼のニュースも全国版でまだまだ取り上げてほしいです。
知りたいというニーズがたくさんあることをここに書き記します。
気仙沼をもっと身近に感じでいたい!
見逃した方は↓こちらから
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110417/k10015374551000.html
天気が悪くまた寒くなってきました。
気仙沼はどうでしょうか
街を歩いていたら、どこからかウミネコの鳴き声が聞こえてきたような気がします。
ウミネコをしばらくみていませんね。どこにいってしまったんでしょうか。
「NHKに気楽会が映っているから見て見て」
急いでチャンネルをNHKに切り替えるとそこには
紛れもなく日に焼けた石川遼君が映っていた。
もしかして気楽会に石川遼君が入った!?!?
私は母親に
「その放送は東北版だけだって!」と即座に答えた。
挨拶が遅れました気楽会東京支部のアキヒロです。
テレビではめっきり震災関係を報道する時間が減りました。
唯一NHKは震災について放送しておりますが、
冒頭のような全国版と地方版の違いが起きることは少なくありません。
現地の情報を欲しいと思っているのは私だけではないはずです。
難しいとは思いますが、東京にいてもテレビでローカル放送が見えるようにしてほしいです。
せめて「NHK仙台放送」くらいは放送してほしいです。
1カ月と2週間が経ちました。
原発のニュースが大事なのは重々承知ですが、
宮城、気仙沼のニュースも全国版でまだまだ取り上げてほしいです。
知りたいというニーズがたくさんあることをここに書き記します。
気仙沼をもっと身近に感じでいたい!
見逃した方は↓こちらから
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110417/k10015374551000.html
天気が悪くまた寒くなってきました。
気仙沼はどうでしょうか
街を歩いていたら、どこからかウミネコの鳴き声が聞こえてきたような気がします。
ウミネコをしばらくみていませんね。どこにいってしまったんでしょうか。
気楽会東京支部のアキヒロです。
気仙沼では気楽会の代名詞でもある『気仙沼ホルモン』を気仙沼にボランティアに来てくださっているスタッフさんに振る舞っているみたいですね。
気楽会の再始動がとても嬉しいです。
話は変わりますが、私がいつもカットしてもらっているのは『かっぽぐった』という小平市にあるお店です。
『かっぽぐった』の言葉からわかるように店長さんは気仙沼の鹿折出身です。
店長の吉田慎之助さんは気高で野球部でした。
いつも気仙沼のことばかり話していて、あがらいでバーにも参加されたことがあります☆
そして方言を店名にするくらいの郷土愛に溢れている方です。
震災後はすぐに気仙沼に向かい、救援物資を運びました。先週は仲間を引き連れ再び気仙沼には帰り、ボランティアカットをされました。
思ったことをすぐに行動に移す実行力はほんとすごいです。
土曜日にカットに行った際ももちろん気仙沼について話しました。
帰省したときに鹿折方面には行けなかったので改めて状況を聞くことが出来ました。
気楽会Tシャツをお店のどこかに飾ってほしいと依頼したら快く了承してくださいました。
「かっぽぐった」のブログを見てください。
想いは一つです。
東京在住の気仙沼っ子は是非カットに是非訪れてください。
お店には救援物資が堆く積まれていました。 GWにも再び気仙沼にボランティアカットに行く予定でボランティアを募集していました。詳しくはカッポグッタまで。
外を歩いていたら舞い散る桜と共に風に乗って、懐かしい匂いがした。気仙沼からホルモンの焼けた匂いがここまで辿り着いた。味噌にんにくの効いた、変わらない匂いが東京まで確かに届いた。
気仙沼では気楽会の代名詞でもある『気仙沼ホルモン』を気仙沼にボランティアに来てくださっているスタッフさんに振る舞っているみたいですね。
気楽会の再始動がとても嬉しいです。
話は変わりますが、私がいつもカットしてもらっているのは『かっぽぐった』という小平市にあるお店です。
『かっぽぐった』の言葉からわかるように店長さんは気仙沼の鹿折出身です。
店長の吉田慎之助さんは気高で野球部でした。
いつも気仙沼のことばかり話していて、あがらいでバーにも参加されたことがあります☆
そして方言を店名にするくらいの郷土愛に溢れている方です。
震災後はすぐに気仙沼に向かい、救援物資を運びました。先週は仲間を引き連れ再び気仙沼には帰り、ボランティアカットをされました。
思ったことをすぐに行動に移す実行力はほんとすごいです。
土曜日にカットに行った際ももちろん気仙沼について話しました。
帰省したときに鹿折方面には行けなかったので改めて状況を聞くことが出来ました。
気楽会Tシャツをお店のどこかに飾ってほしいと依頼したら快く了承してくださいました。
「かっぽぐった」のブログを見てください。
想いは一つです。
東京在住の気仙沼っ子は是非カットに是非訪れてください。
お店には救援物資が堆く積まれていました。 GWにも再び気仙沼にボランティアカットに行く予定でボランティアを募集していました。詳しくはカッポグッタまで。
外を歩いていたら舞い散る桜と共に風に乗って、懐かしい匂いがした。気仙沼からホルモンの焼けた匂いがここまで辿り着いた。味噌にんにくの効いた、変わらない匂いが東京まで確かに届いた。
気楽会東京支部のアキヒロです。
以前、「世界からのメッセージ」という題で気仙沼出身でドイツで画家の修行をされている小野寺綾さんを紹介させていただきました。
気楽会日記を通じて、小野寺さんの想いと世界中が日本を応援しているということを伝えさせていただきましたが、海外にはまだまだ日本、気仙沼を応援している方がいらっしゃいました。
その方は小野寺さんと同じくドイツ在住の「クーゲレ彩」さんです。
クーゲレ彩さんは気仙沼との関わりは一切ありません。
震災後に小野寺さんと出会い、気仙沼の事情を知るとチャリティーコンサートを開き、気仙沼に義援金を送金してくださったそうです。
ほんとに世界中が応援しています。
気楽会日記を通じて、一人でも多くの方に伝わってほしいです。
遠くの場所にいても、その場所で自分ができることをして、応援している方はたくさんいます。想いは一つです。
そのクーゲレ彩さんからの気仙沼へのメッセージとその時のチャリティーコンサートの写真をいただきました。
--------------------------------------------------------
気仙沼市民の皆様、その他各地の被災者の方々に、ドイツのライプツィヒ市より、まずは心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
今回の震災で、皆さんが受けた恐怖と心の痛みは、私達が察するなどと表現してはいいものではないと思っています。
それでも、私たち海外に身をおく、在外日本人にとって、今回の震災は心の打ちのめされる現実でした。その場にいて苦しみを分かち合えないもどかしさは、さらに私たちを苦しめる事となっていました。
私たちがここでできる事は何か・・・できる事はあるのか・・・何をすべきなのか・・・考え続けて一週間が経ち、まず最初に私たちがした事は、義援金受付口座を記したビラを、ライプツィヒの街の人に配る事でした。多くの人は、どこに一体送れば確実に現地に届くのかがわからず、戸惑っていただけに、この情報提供は、温かく受け入れられ、中には頭を深々と下げて、「日本人の毅然とした態度に敬意を表したい、心からお見舞い申し上げたい」と言ってくれる人もいました。
かつて数多くの大作曲家が過ごした音楽の街、ライプツィヒで音楽を学び、現在は音楽大学の非常勤講師として、そして子供にピアノを教えるピアノ教師として従事する私には、数え切れないほどの音楽仲間が存在します。そんな仲間が、私の声に応えて100人以上集まり、わずか10日ほどの準備期間で行われたのが、3月31日のチャリティコンサートでした。
そこから一週間ほど遡った頃、私は気仙沼出身の芸術家で、ベルリンにアトリエをお持ちの小野寺綾さんとコンタクトを持ちました。
集める義援金を、何とか早く、直接被災者の方々の手に届く所に送れないかと、色々模索中だった私は、綾さんとのやり取りの中で、気仙沼を応援、支援したい気持ちが日々強くなっていきました。そこで、私はこのチャリティコンサートで集まった義援金の3分の1を独日協会に託し、残り3分の2を気仙沼に送ることに決めたのでした。
当日は、3つの合唱団とソリストを合わせた100人の演奏家、400人の観客を集め、日本人とドイツ人が混ざって、司会者・演奏者・観客の心が一つになった、とてもいいコンサートとなりました。教会に響き渡るコーラスの歌声、オルガンの音、その他楽器の音、司会者の話、どれもが心のこもった素晴らしいものでした。
そしてその日、私たちは、3800ユーロ(およそ45万円)の義援金を集める事ができたのでした。
その内1200ユーロを独日協会へ、残りの2600ユーロを気仙沼へ送る分としました。
さらに、ライプツィヒから車で1時間半ほどの所で行われた、ザクセン州選抜コーラスによるチャリティコンサートで集まった500ユーロ、個人的に知人・親戚から預かった義援金530ユーロを合わせると、3630ユーロ(およそ44万円)が近日中に気仙沼の口座に送金できる予定です。
これらが必要な分のごく一部でも、皆さんの元気の基に使われれば幸いです。
一つお願いがあります。
復興に5年から10年かかるといわれていますが、息の長い支援を続けていく為にも、皆さんが受け取った元気を私たちの方に知らせてはいただけないでしょうか。そうしたキャッチボールが、これからの私たちの励みにもなります。そして今回支援してくれた、ドイツ人の仲間達にも新たなモチベーションとなって、次へのチャリティーコンサートへつなげることが出来るのです。この大変な中、今はそんな時間も余裕もないことは分かっています。ただ、もう少し落ち着いてきた頃に、何か一言お知らせをいただけたら、また、皆さんの元気な様子を写真でいただけたら、私たちにとってこんなに嬉しい事はありません。
それでは、皆さんが、大人も子供も心から笑顔になれる日が、きっと来る事を信じて、「冬は必ず春になる」事を信じて、ドイツから応援・支援しています。一緒に一歩一歩進んでいきましょう。
ご不便な生活がまだまだ続くと思われますが、皆さんお体を大切になさってください。
桜の花が皆さんの心の安らぎになりますように・・・
4月8日
ライプツィヒ音楽家、及び日本人会代表、クーゲレ彩
--------------------------------------------------------
その時の写真です。
①コーラス演奏
②演奏会幕開け。オルガン伴奏で日本人も何人か参加して90人以上の大合唱
③演奏会の終わりに、演奏者達への感謝の意味を込めて、折鶴を一人ひとりにプレゼントしました。(ちなみに観客の皆さんにも、義援金のお礼に出口で折鶴を渡しました。)
クーゲレ彩さん、本当にありがとうございました。
これを読んで元気にならない方はいないと思います。
世界中が応援しています。
今度は私たちがお返しする番です。
ドイツの方々から受け取った元気を倍にして送り返して、
キャッチボールを続けていきましょう。
以前、「世界からのメッセージ」という題で気仙沼出身でドイツで画家の修行をされている小野寺綾さんを紹介させていただきました。
気楽会日記を通じて、小野寺さんの想いと世界中が日本を応援しているということを伝えさせていただきましたが、海外にはまだまだ日本、気仙沼を応援している方がいらっしゃいました。
その方は小野寺さんと同じくドイツ在住の「クーゲレ彩」さんです。
クーゲレ彩さんは気仙沼との関わりは一切ありません。
震災後に小野寺さんと出会い、気仙沼の事情を知るとチャリティーコンサートを開き、気仙沼に義援金を送金してくださったそうです。
ほんとに世界中が応援しています。
気楽会日記を通じて、一人でも多くの方に伝わってほしいです。
遠くの場所にいても、その場所で自分ができることをして、応援している方はたくさんいます。想いは一つです。
そのクーゲレ彩さんからの気仙沼へのメッセージとその時のチャリティーコンサートの写真をいただきました。
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気仙沼市民の皆様、その他各地の被災者の方々に、ドイツのライプツィヒ市より、まずは心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
今回の震災で、皆さんが受けた恐怖と心の痛みは、私達が察するなどと表現してはいいものではないと思っています。
それでも、私たち海外に身をおく、在外日本人にとって、今回の震災は心の打ちのめされる現実でした。その場にいて苦しみを分かち合えないもどかしさは、さらに私たちを苦しめる事となっていました。
私たちがここでできる事は何か・・・できる事はあるのか・・・何をすべきなのか・・・考え続けて一週間が経ち、まず最初に私たちがした事は、義援金受付口座を記したビラを、ライプツィヒの街の人に配る事でした。多くの人は、どこに一体送れば確実に現地に届くのかがわからず、戸惑っていただけに、この情報提供は、温かく受け入れられ、中には頭を深々と下げて、「日本人の毅然とした態度に敬意を表したい、心からお見舞い申し上げたい」と言ってくれる人もいました。
かつて数多くの大作曲家が過ごした音楽の街、ライプツィヒで音楽を学び、現在は音楽大学の非常勤講師として、そして子供にピアノを教えるピアノ教師として従事する私には、数え切れないほどの音楽仲間が存在します。そんな仲間が、私の声に応えて100人以上集まり、わずか10日ほどの準備期間で行われたのが、3月31日のチャリティコンサートでした。
そこから一週間ほど遡った頃、私は気仙沼出身の芸術家で、ベルリンにアトリエをお持ちの小野寺綾さんとコンタクトを持ちました。
集める義援金を、何とか早く、直接被災者の方々の手に届く所に送れないかと、色々模索中だった私は、綾さんとのやり取りの中で、気仙沼を応援、支援したい気持ちが日々強くなっていきました。そこで、私はこのチャリティコンサートで集まった義援金の3分の1を独日協会に託し、残り3分の2を気仙沼に送ることに決めたのでした。
当日は、3つの合唱団とソリストを合わせた100人の演奏家、400人の観客を集め、日本人とドイツ人が混ざって、司会者・演奏者・観客の心が一つになった、とてもいいコンサートとなりました。教会に響き渡るコーラスの歌声、オルガンの音、その他楽器の音、司会者の話、どれもが心のこもった素晴らしいものでした。
そしてその日、私たちは、3800ユーロ(およそ45万円)の義援金を集める事ができたのでした。
その内1200ユーロを独日協会へ、残りの2600ユーロを気仙沼へ送る分としました。
さらに、ライプツィヒから車で1時間半ほどの所で行われた、ザクセン州選抜コーラスによるチャリティコンサートで集まった500ユーロ、個人的に知人・親戚から預かった義援金530ユーロを合わせると、3630ユーロ(およそ44万円)が近日中に気仙沼の口座に送金できる予定です。
これらが必要な分のごく一部でも、皆さんの元気の基に使われれば幸いです。
一つお願いがあります。
復興に5年から10年かかるといわれていますが、息の長い支援を続けていく為にも、皆さんが受け取った元気を私たちの方に知らせてはいただけないでしょうか。そうしたキャッチボールが、これからの私たちの励みにもなります。そして今回支援してくれた、ドイツ人の仲間達にも新たなモチベーションとなって、次へのチャリティーコンサートへつなげることが出来るのです。この大変な中、今はそんな時間も余裕もないことは分かっています。ただ、もう少し落ち着いてきた頃に、何か一言お知らせをいただけたら、また、皆さんの元気な様子を写真でいただけたら、私たちにとってこんなに嬉しい事はありません。
それでは、皆さんが、大人も子供も心から笑顔になれる日が、きっと来る事を信じて、「冬は必ず春になる」事を信じて、ドイツから応援・支援しています。一緒に一歩一歩進んでいきましょう。
ご不便な生活がまだまだ続くと思われますが、皆さんお体を大切になさってください。
桜の花が皆さんの心の安らぎになりますように・・・
4月8日
ライプツィヒ音楽家、及び日本人会代表、クーゲレ彩
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その時の写真です。
①コーラス演奏
②演奏会幕開け。オルガン伴奏で日本人も何人か参加して90人以上の大合唱
③演奏会の終わりに、演奏者達への感謝の意味を込めて、折鶴を一人ひとりにプレゼントしました。(ちなみに観客の皆さんにも、義援金のお礼に出口で折鶴を渡しました。)
クーゲレ彩さん、本当にありがとうございました。
これを読んで元気にならない方はいないと思います。
世界中が応援しています。
今度は私たちがお返しする番です。
ドイツの方々から受け取った元気を倍にして送り返して、
キャッチボールを続けていきましょう。
気楽会東京支部のアキヒロです。
私は気楽会東京支部と名乗っていますが、まだ本家気楽会に対して、ブログを書く以外では何も貢献できていませんでした。
先週気仙沼に行く際に何か出来ることはないかと考えまして、勝手ながら気楽会のTシャツを作りました。
モチベーションを高く維持できる材料の一つとして、少しでも役に立ちたいと思い、団結力の絆を強めるメッセージを込めました。
知人にTシャツ作りを依頼したところ気楽会の活動に共感していただき無料で制作していただきました。
気仙沼の復興には気仙沼ホルモンを一躍メジャー舞台に押し上げた気楽会の存在がなくてはならないと思います。
マックスの弟だから気楽会にいるのではなく、本当に気仙沼のことが好きなので気楽会にいると思われるように頑張り続けます。
近いうちに東京支部から本家に向けて出来ることをTKさんと企画して、本家に負けないくらいの活動をしたいと思います。
長期戦を全員が一致団結で乗りきりましょう。
私は気楽会東京支部と名乗っていますが、まだ本家気楽会に対して、ブログを書く以外では何も貢献できていませんでした。
先週気仙沼に行く際に何か出来ることはないかと考えまして、勝手ながら気楽会のTシャツを作りました。
モチベーションを高く維持できる材料の一つとして、少しでも役に立ちたいと思い、団結力の絆を強めるメッセージを込めました。
知人にTシャツ作りを依頼したところ気楽会の活動に共感していただき無料で制作していただきました。
気仙沼の復興には気仙沼ホルモンを一躍メジャー舞台に押し上げた気楽会の存在がなくてはならないと思います。
マックスの弟だから気楽会にいるのではなく、本当に気仙沼のことが好きなので気楽会にいると思われるように頑張り続けます。
近いうちに東京支部から本家に向けて出来ることをTKさんと企画して、本家に負けないくらいの活動をしたいと思います。
長期戦を全員が一致団結で乗りきりましょう。
気楽会東京支部のアキヒロです。
中学3年生の頃に黒夢を紹介されて、ロックにのめりこみました。
文化祭ではバンドを組み演奏を行い、
高校からは洋楽に傾倒し、バンド活動を始めました。
私服OKの気仙沼高校だったので革ジャンに髪はツンツンで自転車に乗り、
ロックを聞きながら通学していました。
高校三年生のみなと祭りを最後に受験のため、バンド活動は休止となり、自然消滅となりました。
大学ではバンド活動とは無縁のサークルに入り、高校以来バンドは組んでいません。
ドラムは部屋の片隅にずっと置いてありました。
バンドという形ではありませんでしたが、帰省するたびに部屋で叩いていました。
シンバルで鼓膜が揺れる感覚やスティックを握る感触、
窓に映ったドラムを叩く姿を見るときが実家に帰ってきたことを実感する瞬間でした。
津波で1階は跡形もなく消えたという話を聞いて、1階においてあったドラムには
もう会うことはないと思っていました。
しかし、
兄マックスと次兄セカンドマックス(?)と幸町の実家近辺を捜索しているときに
発見しました。
私のスネアドラムです。
ご覧のとおり、ガレキの中です。
見つからないと諦めかけていたので、すぐに駆け寄り、急いでガレキから取り出しました。
胸の鼓動の高鳴りは初めてドラムセットが届いた時と同じでした。
手に取った瞬間、胸の鼓動は確かに8ビートを刻んでいました。
服は粉塵まみれでヘドロくさかった。
それはそれでロックンロールな気持ちにさせてくれました。
ドラムを素手で叩くジョン・ボーナム(レッドツェッペリン)に憧れて、
右手薬指を骨折しかけた私。
軍手を外し、叩いてみましたが砂ぼこりが舞って、鈍い音だけが返ってきました。
でも中学3年生の時に買ったPearlのドラムに間違いありません。
思い出の場所は無くなってしまったけれど、
胸に刻み込まれたビートはいつまでも鳴りやむことは決してありません。
ロックとは固定観念を打破するもの。
常にロックであれ気仙沼。
ロックンロール気仙沼。
中学3年生の頃に黒夢を紹介されて、ロックにのめりこみました。
文化祭ではバンドを組み演奏を行い、
高校からは洋楽に傾倒し、バンド活動を始めました。
私服OKの気仙沼高校だったので革ジャンに髪はツンツンで自転車に乗り、
ロックを聞きながら通学していました。
高校三年生のみなと祭りを最後に受験のため、バンド活動は休止となり、自然消滅となりました。
大学ではバンド活動とは無縁のサークルに入り、高校以来バンドは組んでいません。
ドラムは部屋の片隅にずっと置いてありました。
バンドという形ではありませんでしたが、帰省するたびに部屋で叩いていました。
シンバルで鼓膜が揺れる感覚やスティックを握る感触、
窓に映ったドラムを叩く姿を見るときが実家に帰ってきたことを実感する瞬間でした。
津波で1階は跡形もなく消えたという話を聞いて、1階においてあったドラムには
もう会うことはないと思っていました。
しかし、
兄マックスと次兄セカンドマックス(?)と幸町の実家近辺を捜索しているときに
発見しました。
私のスネアドラムです。
ご覧のとおり、ガレキの中です。
見つからないと諦めかけていたので、すぐに駆け寄り、急いでガレキから取り出しました。
胸の鼓動の高鳴りは初めてドラムセットが届いた時と同じでした。
手に取った瞬間、胸の鼓動は確かに8ビートを刻んでいました。
服は粉塵まみれでヘドロくさかった。
それはそれでロックンロールな気持ちにさせてくれました。
ドラムを素手で叩くジョン・ボーナム(レッドツェッペリン)に憧れて、
右手薬指を骨折しかけた私。
軍手を外し、叩いてみましたが砂ぼこりが舞って、鈍い音だけが返ってきました。
でも中学3年生の時に買ったPearlのドラムに間違いありません。
思い出の場所は無くなってしまったけれど、
胸に刻み込まれたビートはいつまでも鳴りやむことは決してありません。
ロックとは固定観念を打破するもの。
常にロックであれ気仙沼。
ロックンロール気仙沼。
気楽会東京支部のアキヒロです。
週末、気仙沼に行きました。震災後初めてです。
本来なら順番的に昨日アップしなければなりませんが、手が動きませんでした。
私は個人ブログを二つ持ち、ツイッター、FACEBOOKをしていますが、今まで味わったことがないくらい文章が進みません。
震災後の気仙沼の様子などを気になっている方がたくさんいると思いますが、今の気持ちに当てはまる言葉が見つかりません。
生まれ育った幸町、仲町は絶望でした。本当に何もありませんでした。
失ったものが大きすぎました。
しかし、兄マックスをはじめ、出会った気仙沼の方の目は諦めてはいませんでした。
家の後片付けをしている方やすれ違う方は『がんばっぺし』『復興させっぺ』と口を揃えています
今すぐ、どうこう出来る問題ではありません。
長期戦です。
これは相当長いです。
我々がしなければならないことが少しですが見えてきました。
頭の整理がついたら、もう少し具体的なことを書かせていただきます。
画像はガレキの中から見つけた気楽会Tシャツです。
拙い文章で申しわけございませんでした。
週末、気仙沼に行きました。震災後初めてです。
本来なら順番的に昨日アップしなければなりませんが、手が動きませんでした。
私は個人ブログを二つ持ち、ツイッター、FACEBOOKをしていますが、今まで味わったことがないくらい文章が進みません。
震災後の気仙沼の様子などを気になっている方がたくさんいると思いますが、今の気持ちに当てはまる言葉が見つかりません。
生まれ育った幸町、仲町は絶望でした。本当に何もありませんでした。
失ったものが大きすぎました。
しかし、兄マックスをはじめ、出会った気仙沼の方の目は諦めてはいませんでした。
家の後片付けをしている方やすれ違う方は『がんばっぺし』『復興させっぺ』と口を揃えています
今すぐ、どうこう出来る問題ではありません。
長期戦です。
これは相当長いです。
我々がしなければならないことが少しですが見えてきました。
頭の整理がついたら、もう少し具体的なことを書かせていただきます。
画像はガレキの中から見つけた気楽会Tシャツです。
拙い文章で申しわけございませんでした。