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気楽会の観光案内課 



第30回6月12日(日)参加者募集中です。

第30回「気楽会の観光案内課」
日時:2016年6月12日(日)9:00~16:00
集合場所:気仙沼市役所
参加費:2000円

お問い合わせはメールで
↓↓↓↓

kesennuma_kirakukai@yahoo.co.jp 主催:気楽会
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TKです。

震災からちょうど1ヶ月が経ちました。


この1ヶ月を振り返って見ると、自分は長く感じた様に思えます。
いつもなら、1ヶ月経つのがあっという間に感じますが、この1ヶ月は不思議に長く感じられました。


被災者の方々はどう感じてるのでしょう。


人によってはこの1ヶ月はあっという間だったと思われてる方もいるでしょう。

人によって時の経つのが早く感じられたり、遅く感じられたり、この違いはどこから生じるんでしょう。


これは、子供と大人の時間の感じ方の差と似てるかもしれません。


確か、自分が子供の頃は時間が経つのがやたら遅かったような気がします。
一日、一年経つのが長く感じてました。
だから、小学校卒業するのに、かなり長く感じたような気がします。


しかし、だんだん成長して歳を取ると一年一年があっという間に過ぎてしまい、時間が短くなっている様な気がします。
この感覚なら、小学校の6年間なんてあっという間だったでしょう。


子供の頃と大人でなぜこんな時間に対する感じ方が生じるんでしょう。


恐らく、子供の時は好奇心が大旺であらゆる物事が未体験でいちいち新鮮に感じられ、時間に重みがあったんだと思います。


一方で大人になると大概の事は経験してしまい、いちいち驚いたり感動する事がなくなってしまうから、時間の重みがなくなり、時があっという間に過ぎるのではないでしょうか。


この考え方でいくと、この1ヶ月の時の経過が遅く感じるのも説明がつきます。

テレビで毎日見る信じられない被災地の惨状は、今まで生きてきた中でも、とても衝撃的かつショッキングであり、人の死に悲しんだり、一方で人の善意に感動を覚えたりと大いに、感情が刺激されました。


つまり、この1ヶ月で見聞きしたものは自分にとって全てが未知の出来事だったからこそ、1ヶ月が長く感じられたのだと思います。


恐らく、今、時が長く感じている現状から、次第に、時間の経過とともに時が短く感じる大人モードに切り替わっていくのでしょう。


しかし、それは、今回の震災が珍しいものではなくなり、この震災から人の意識が徐々に遠ざかっていく事を意味します。



阪神淡路大震災の時も、半年ぐらい経つと報道される事も少なくなり、募金活動、チャリティーイベントも減っていったと聞きます。
まだ、街が全然、復興してないにもかかわらず、、。


今回の大津波による被災規模は阪神淡路大震災の更に何倍も大きいだけに、半年程度で人の記憶から遠ざけられてしまうのはたまったものじゃありません。



だからこそ、気仙沼と密接に関係のある僕らは、世間に気仙沼の被害、惨状を訴え続ける努力もしなければいけないと思ってますし、それが使命だと思ってます。


時が経ち、いつもの日常を取り戻すにつれ、時が短く感じる大人のモードになるのは仕方ないですが、今回の戦後最大ともいえる災害だけは、多くの人の心に深く刻み、忘れないようにしてもらいたいものです。
 

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TKです。

昨日、日付が変わる直前に大きな地震がまた襲ってきました。


東京で震度4レベル。
揺れは1分ぐらい続き、怖くなって外に出ようかと思った時に揺れは収まりました。

慌てて、テレビを付けたら震源地はまたも東北で早速、津波警報が発令されてました。

3.11の悪夢が蘇る。


マックスに電話しようかと思ったものの、皆またパニックになって高台に逃げてると思い、電話は断念。 というか、電話はもう既に、圏外でつながりにくくなってました。


今の段階で宮城県内はまた大規模な停電になってるようです。


更なる被害がまた生じてるかも知れません。



ただでさえ大変なこの状況にまた震度6強の地震。

天変地異は本当、加減なし、情け容赦なし。


避難所で身を寄せ合って、寝ていたであろう多くの方々が再び、どれだけの恐怖を覚えただろうか。


想像しただけでも、胸が締め付けられます。


昨日、ちょうど気象庁がこれからまた大きい余震が来る事は否定できないと改めて警戒を呼び掛けた直後に起きた今回の大地震。


警戒呼び掛けられたところで、地震は止められない以上、結局逃げる事しか出来ず、対策などありません。

ただただ、津波が来ない事を祈り、津波が来ても、皆安全な所に逃げ切ってくれと祈るしかありません。


今回の地震で気仙沼の皆さんが無傷である事を心よりお祈りします。


TKです。


震災以来、ブログ書き始めてからやたら時が経過するのが早く感じる今日この頃です。


今、三人で交代しながらブログ書いてますが、自分の番に回ってくるのがやたら早く感じます。


この前ブログ書いたばかりなのにもう順番回って来たの?!
と毎回驚かされます。



特にネタがない時でも、気楽会ブログを毎日更新してきた気楽会メンバーの苦労を今軽く味わってます。


昨日は東京支部のアキヒロが気仙沼から帰って来ましたが、生の気仙沼の姿は想像以上に凄惨で、一昨日のブログを無断キャンセルしてしまう程精神的なダメージを受けたみたいです。


やはり、テレビで見る気仙沼と生で見る気仙沼は違うようです。


何人か気仙沼に行って来た友達がいますが、その人達の話を聞いてもやはり同じ事を言います。
「テレビで報道されている以上に現場は深刻な被害だ」と。



自分も今までは、街を復興しましょうと生の気仙沼の現状を見ずに軽々しく言ってましたが、そんなレベルの話じゃないんですよね。


となると、現状をろくに知らない自分がこんなブログを書く事事態不謹慎であってブログなんか書いてる場合じゃないのかもしれません。



しかし、多くの人が絶望的な気持ちになりつつも、自らを鼓舞し、必死に生きようとする姿を見ると、尚更遠くにいる僕らが何か少しでも行動起さなければいけないと思うのです。


このブログがどのように評価されてるかわかりませんが、書かないよりはマシと割り切り、気仙沼の人が見て少しでも元気づけられるような話題や、或いは遠くにいる気仙沼人が共鳴し、気仙沼の為に行動を起こす引き金となるようなブログを目指したいと思います。


なので、今後も出来る限りブログを書き続けようと思いますので宜しくお願いします!


最後に明るい話題です


今日の読売新聞に、気仙沼出身の畠山健介さん(25)が載ってました。
健介というと、プロレスラー佐々木健介を思いだされますが、畠山さんはプロレスラーではありません。


畠山さんはラグビー日本代表であり、今年ニュージーランドで開催される四年に一度の祭典、ラグビーワールドカップのアジア最終予選に向けた最後の合宿でレギュラーの座を獲得すべく今一生懸命頑張られてます。


今回の津波で気仙沼の実家を失い、予定していた結婚も延期になってしまった畠山さん。


そんな苛酷な状況に置かれながらも、日本代表レギュラーの座を獲得し、ワールドカップでは日の丸と気仙沼を背負って戦い、被災者の人を元気づけたいと話されてました。


肉体と肉体が激しくぶつかりあい、ボロボロになりながら戦い抜く男のスポーツラグビー。

ワールドカップともなれば、ボブサップ級の体格を持った外人が容赦なく体当たりやタックルしてくる恐ろしい世界です。


そんな怪物相手に、日の丸のユニフォームに身を包んだ、畠山さんが立ち向かって行く姿は間違いなく気仙沼を勇気づけてくれるでしょう


是非、外人,震災もろとも思いっきり吹き飛ばす渾身のタックルで気仙沼を元気づけてもらいたいですね!


頑張れ畠山健介!!





TKです。

震災から三週間が経ちました。


公共交通網もあちこちで復旧し、東北地方に足を運ぶ人達が増えて来ました。

淡々と当たり前のように道路が復旧していってますが、海外ではあまりにも早い道路の復旧に驚嘆の声が挙がってるようです。


震災でたった6日で復旧した常磐道にいたっては、震災直後の写真と復旧後の写真を見比べ、海外のネットユーザーから
「奇跡だ!」、

「嘘だろ!」、

「うちの国なら最低1ヶ月はかかってた」、

「我々の行政は日本からこの姿勢と技術を学ぶべきだ」

と短時間で道路を復旧させた日本人の勤勉さと技術に数々の驚きと称賛の声が挙がっていました。


「やっと開通したよ」とのんきに言ってる人は、何もわかっちゃいません。


世界トップクラスの舗装技術と震災直後から夜通しで復旧作業をしている人達がいるからこそ、こんなにも早く道路が利用出来るようになった事をもっと認識すべきでしょう。


逆にいえば、この復旧の早さに驚かない日本人ってどれだけ恵まれた環境で生きてるんでしょう。


いつも行政に不満や苛立ちを持ってる人もたまには、行政に対し敬意と感謝の念を持ち合わせて欲しいものです。


やはりこの国はただならぬポテンシャルを持ってます。


さて、道路が復旧したお陰で、今週末ぞくぞくと気仙沼に帰る人達が目立ちます。

気楽会東京支部からアキヒロと気楽会ブログに度々登場のIT会社の女社長オヤマリーさんが気仙沼に帰ってます(その2人ぐらいしか知りませんが、、)。


このお2人は熱烈な気仙沼信者であり、並外れた故郷愛を持っており、頭の中は常に気仙沼の事で満たされてます。

特にリーさんなんか、ツイッタ-で少しでも気仙沼に関する有益な情報を提供したいと、24時間体制で被災以来1000回以上つぶやいてます。

自分の業務をほったらかしにし、つぶやきまくる社長の姿にある社員が、「うちの会社は大丈夫か」と思わず危機感を口にしてしまう程、気仙沼に対し熱が入ってます。

一方アキヒロも負けてません。
少しでも気仙沼を元気づけようとある物を作成して気仙沼に向かいました。
そのある物とは、、、アキヒロの次回のブログでご確認下さい。



今、気仙沼復興支援サイト「リアス気仙沼」で今後何をやっていけるか、今何をすべきか考え中です。


今の気仙沼の現状を目の当たりにしたお2人がどう感じ、何を思ったか、今後の「リアス気仙沼」の在り方にヒントを与えてくれそうです。

このお二人から早く気仙沼話が聞きたいですね。


気仙沼にいる人は街中で見かけたら、声掛けてあげて下さい。


アキヒロ!大島行って鬼ごっこだけはまだするなよ!


TKです。

震災から19日が経ちました。
気付けば3月ももうあと1日で終わってしまいます。
確かにもう4月という事もあり、東京では桜もチラホラ咲き始めて来ました。



しかし、例年ならこの時期になると花見の話題で持ちきりですが、東北大震災の前ではさすがに自粛ムードです。


僕らの様な東北出身の人ならば、尚更花見どころじゃありません。


来年は、気仙沼ホルモンでも食べながら、花見が出来たらいいですね。


さて、気仙沼でも徐々に明るい話題が聞こえ始めて来ました。


一番懸念されていた、ガソリン不足も、市内のスタンドで給油出来るようになり、不安も解消されつつあるみたいですね。


これは本当に朗報です。


遠方にいる人にとっても、今までは気仙沼に行くとなると片道のガソリンをタンクに詰め込み、帰りは帰って来れないかもしれないという、神風特攻隊ばりの悲壮な覚悟で気仙沼に行かなければいけませんでしたが、その不安がなくなりました。


そして、宅配便も営業所止まりだったのが、個人宅にも配達出来るようになり、ダイレクトで相手に物を届ける事ができるようになりました。


ふと考えるとこのサービスは偉大です。

気仙沼にわざわざ足を運ばなくても、全国どこからでもそんな高くない値段で物を届けてくれるんですから、魔法の様なサービスです。

今まで、物を送っても相手に気仙沼郵便局にまで取りに行かせる事が申し訳ないと、物を送る事に地団駄を踏んでいた人にとっても朗報ですね。


この様に、物と人が行き渡りやすくなった事は復興へ向けて大きな第一歩を踏み出したと言っていいでしょう。


人も行きやすくなった事で、被災地に炊き出しを行う善意溢れる人達が多くなって来ました。


今日も東京に籍を置く、「SPPUTNIK INTERNATIONAL」という社団法人の方がスリランカ人14人を引き連れ、気仙沼でカレーの炊き出しを行ってます(午前中ケーウェーブ900食、福寿荘200食、午後松岩公民館400食、階上中学校1200食)。


何故、数多くある被災地の中で気仙沼を選んで来てくれたか謎ですが、有難い話です。


そして、先日ブログでお伝えした、我らが貴闘力関。

「気仙沼には是非行きたい」という宣言通り、27日から気仙沼小学校に泊まり込みで炊き出しを行ってくれてるみたいです。

昨日も元ハマの大魔人佐々木主浩さんとその妻榎本加奈子さん、プロゴルファー世界の青木功さんを引き連れ、ちゃんこ鍋2500食も振る舞ってくれた様子が新聞に載ってました。


これまた何故気仙沼をこんなひいきにしてくれるのか、謎ですが、嬉しすぎます。

現役時代、闘志を全面にだした男気ある相撲っぷりが好きでしたが、今も変わらず、現役当時同様の男気が溢れまくってます。


貴闘力関は東京で焼き肉店「ドラゴ」の店主を務めていますが、わざわざボランティアの為に店をあけてまで駆けつけてくれました。


気仙沼人としてそのお礼の意味合いも込めて、近々ドラゴに食べに行きたいと思います。


全国から届けられる、温かい善意の数々。


ただただ、今は感謝感謝であります。


本当に有難い、有難い、、


TKです。

震災から、二週間が過ぎました。



いまだにまだ、大津波が現実に発生し、街を飲み込んだという現実が夢のように感じてしまいます。



世界にも例を見ないほどの地震と津波がよりによって、地球の中で自分の故郷に降りかかるなんて、本当にありえ
ない事です。



最近は、精神衛生上の事も考えてニュースから少し離れるようにしていますが、友達からの電話やメールで、被災にあった知り合いの訃報を聞かされると、嫌でも現実に引き戻されてしまいます。



昨日は三人もの同級生の訃報を聞かされ、愕然としました。


僕の気仙沼中学校時代の同級生は、今回の津波の被害にあうまでは、誰一人も亡くなっておらず、33年間皆その命を大切に守り抜いて来ました。



それだけに、一つの災害であっさりと多くの同級生が亡くなるという事実に改めて今回の災害の大きさを思い知らされます。

まだまだ安否不明者がたくさんいるだけに、また悲しい知らせが待ち受けているのかと思うと、なかなか気持ちが上向きになれません。




このような悲報がなくなる日が本当に待ち遠しいですね。


さて、気持ちが晴れないまま、二週間が経過しましたが、遠く離れた東京でもただじっとテレビで気仙沼の被害の様子を見ていた訳じゃありません。


何か出来る事はないかを常に考えてきました。


その一環として、気仙沼復興支援ホームページ「re:us気仙沼」を立ち上げました。

ホームページ名のre:us気仙沼の名前の由来は、re=再び、us=私たちの手によってリアス海岸の街気仙沼を復興させるというという思いが込められています。


まずは、義援金の呼びかけから始まり、twitterでのリアルタイムの情報を提示、賛同者を募り、その賛同者と知恵を出し合って色々な仕掛けをしていきたいと思ってます。


まだ立ち上げたばかりで、どのように展開していくかは今後の課題ですが、このサイトを通じてとにかく気仙沼を少しでも元気づけ、少しでも早い復興の手助けとなるように頑張ります。



まだまだ、復興へ向けて、長い時間が必要ですが、このサイトも気仙沼の復興とともにに歩んで行きます。


今後ともども、re:us気仙沼をどうぞ宜しくおねがいします!!

re:us気仙沼 

re-us-kesennuma.com/

*なお、マギー審司さん、畠山美由紀さんから気仙沼へのメッセージを動画としてアップしましたが、今現在パソコンからでしか視聴できません。近日中に携帯からでも視聴できるように今準備を進めていますので今暫くお待ちください。












 


TKです。

震災から14日目が経ちました。

3月はまだ始まったばかりと思ってたら、いつの間にかもう下旬になってます。

どうやら、震災に関する情報を夢中で追い続けた結果、時の経過を忘れてしまったようです。


この季節、本来花粉症に苦しめられるてるはずですが、花粉症の存在すらも忘れてしまいました。


一つの物事に神経を集中させると、他の物事は本当に気にならなくなるものですね。


東京では、ガソリンの供給がやっと安定し、昨日あたりからガソリンスタンド渋滞が消えて行きました。


スーパーやコンビニには、品物不足が続き、計画停電も1日3~6時間程実施されています。
夏になったら更なる大規模な停電が必要ともいわれてます。


しかし、いづれにせよ被災者が今直面している状況に比べれば、大した問題じゃありません。




個人的にはまず恵まれた環境で生きている被災地域以外の人達は多少の犠牲を払い、もっと過酷な環境に身を置き、心身共に浄化すべきだと思います。


自分も今は暖房器具はもう使ってませんし、電気もたまに見るテレビと学習用電気スタンドぐらいしか使ってません。
食べ物も外食は極力避け、質素な食事を心掛けてます。


移動手段も、徒歩か自転車です。
スポーツタイプの自転車だと、その気になれば1日200~300キロは走れるので、東京にいて電車や車を使う機会はほとんどありません。


このぐらい少しストイックな生活を送って、初めて被災者へ頑張れとエールを送れるような気がします。



さて、今まで気仙沼に行こうにもガソリン不足で行けなかったり、物資を送りたくても宅配便が休止状態で、何も気仙沼の為にしてやれずヤキモキしてた人が多かったと思います。


そこで昨日からやっと郵パックが受付を開始してくれました。


これでやっと物資を送れる事が出来ます。

ただし、物を送ったとしても気仙沼郵便局止まりです。
なので荷物は受取人が気仙沼郵便局に受け取りに行かなければいけません。

発送日から1日~1週間ぐらいで荷物が到着するみたいです。

物を送る時は、相手に何が不足しているかを聞いて、必要な物だけを送る事を心掛けた方がいいでしょう。

これで、少しでも被災者にとって役立つ物が届けられ、笑顔が増えるといいですし、被災以来ずっと何も手助けする事が出来ず、心痛めていた遠方の人にとっても少し憂さ晴らしが出来ますね。



最後に嬉しく感動したニュース。


ご存知の方も多いと思いますが、先日台湾で、東北大震災の為のチャリティー番組が行われ、22億円というとてつもない巨額な義援金が集まりました。


2000万人という約日本の6分の1の程度の人口で、300円でお腹一杯食える物価の国が、日本の為にこれだけの大金を集めてくれたのです。

しかもたった4時間半で!

因みに、24時間テレビで過去に集めた最高金額は11億9000万円ですから、いかにこのチャリティー番組が叩き出した数字が驚異的かわかります。


恐らく、自国以外の国の為に集めた義援金額としてはギネス級の数字であるといっていいでしょう。


そしてこの後も寄付の動きは止むことなく、昨日の時点で何と41億円にまで膨れ上がりました。


どんだけ日本の事を想ってくれてるのでしょう。
涙が出そうです。
もう台湾に足向けて寝れません。


恐らく、この義援金の一部は気仙沼復興の為にも大いに活用されるものと思います。


この台湾国民の温か過ぎるバックアップに応えるのには、1日も早く街を復興させる事でしょう。


ギネス級の義援金には、ギネス級の早い復興で恩返ししたいですね!


気仙沼なら出来ます!
やりましょう!!



TKです。

震災からあっという間に10日目が過ぎようとしています。


震災にあってからずっとテレビ、新聞、インターネット、そして友達との情報交換で、震災情報を追いかけまくった10日間でした。



気仙沼では、ようやく三日前ぐらいから電話がつながるようになり、友達や親戚とやっと会話が出来るようになりました。


ある電気屋の友達は、震災直後から、自身も家を失い、被災者でもあるにも拘らず、気仙沼の電気復旧の為に働いていたといいます。


実はこの友達、震災直後は東京のテレビでも安否不明者として報じられ、大変心配していましたが、実際は不明どころか市の為に一生懸命働いていたのです。



震災直後で働く気は起きなかったものの、避難場所で目の前で高齢者が寒さで倒れて行く姿を見て、早く電気を復旧せぬばと強い使命を感じたといいます。


今市内で徐々に電気が使えるようになって来たのも、彼らの頑張りのお陰なのかもしれません。


ちょっとかっこいいです。


友達や親戚と電話で話をして感じた事は、皆意外にも明るく元気であるという事。



あまりにも悲惨な出来事過ぎて、悲しむよりも、もう前に進むしかないのでしょう。


これからは、また一歩一歩上昇していくのみです。



その上昇の手助けをするには、やはり外部からの復興支援が重要な鍵である事は言うまでもありません。


東京にいると、本当に日本中が一丸になって被災地を助けようという雰囲気がビシビシ伝わってきます。


街の至るところで募金箱が設けられ、駅前では募金箱を持ったボランティアの人達が声を張り上げてます。



その一方で昨日は、千葉の松戸市で東北大震災の為の募金活動をしていた正義感のある高校生が若い男に因縁をつけられ、殴る蹴るの暴行を受け、集めた義援金一部を奪われるという、あり得ない事件がありました。


東北を救う為に東北と何のつながりもない高校生達の善意溢れる行動に対して男が行った蛮行は到底許せません。 


人の為に自己犠牲精神でボランティアに励む人もいれば、この機会を利用してビジネスに励んだり、犯罪を犯す悲しい人達。


日本人、東北人、気仙沼人であれば、前者の様な人間でありつづけたいものです。



最後に、前者のお手本になる様な人のお話。


今日新聞にある人のボランティア活動に関する記事が載ってました。


その名は鎌苅さん。


ピンとこない人が多いと思いますが、元貴闘力関といえば、お分かりになると思います。


野球賭博で相撲界から追放されてしまった事は記憶に新しい事でしょう。


その元貴闘力関は、2トンもの肉と大量の野菜を調達して炊き出しを行う為に10トントラック三台で被災地に向かうらしいです。


元貴闘力関は、東北人ではありません。


でも、実家が神戸で、阪神淡路大震災の時、日本中から沢山の支援をもらった事に感動を覚え、ずっと恩義を感じていたといいます。

「正直、金なんてもってない。でも神戸は日本の皆に助けられた。その恩返しをする時が来た。被災地の中でも、気仙沼や石巻には絶対行きたい。」



野球賭博で相撲界から追放され、妻と財産を失い、人生の崖っ淵に立たされた男が東北人の為に10トントラックで東北に向かいます。

もし、元貴闘力を見かけたら、その男気を称え温かい声で迎えて欲しいものです。


TKです。

津波が訪れてから、6日目が経ちました。


24時間体制で震災を報じて来た民放各局も昨日から、通常の番組編成に切り替えて来ました。


スポンサー料で放映している民放からすれば、スポンサーCMなしで放映するのは、営利企業である以上、もはや限界なのでしょう。


しかし、被害状況、安否確認が不明な人がたくさんいる現状を踏まえ、NHK意外にも24時間体制で報道する番組がもう1つ欲しいところです。



ところで、今朝テレビに妹の安否が不明である菅原さんという気仙沼の女性の映像が流されてました。


映像は、安否不明だった菅原さんの妹さんが乗ってた車を菅原さん家族が発見する内容でした。



「もしかして中にいるのでは!」と、車に駆け寄って、中を確かめると、妹さんの背中が見えます。


思わず声を張り上げ、妹の名前を叫ぶ菅原さん。

しかし、妹さんは反応がありません。
鍵は閉まってて、中に入れない為、すぐ様警察に通報します。


その後、警察、消防車が来て車の中から妹さんを救出するも、無念にもお亡くなりになられてました。


車で走って必死に逃げてる最中に津波に襲われたのでしょう。

親、姉妹、そして幼子を残しての無念の死。


車発見から、死亡確認されるまでのその映像が衝撃的で、同じ故郷の人間として涙が出て来ました。


恐らく、街中で横転している車の中には、いまだ菅原さんの妹さんのように発見されない人が沢山いるのでしょう。


そして、最後菅原さんは警察に妹さんの死亡を告げられ、慰められている時に、こう力強く宣言します。


「大丈夫です!私達はまだ守るべきものがあるから、一生懸命生きて生きます!」

残された家族は、酷な話ですが、悲観に暮れて立ち止まってる事が許されません。


家や家族をなくした挙げ句、極寒の中、空腹に耐え、電気、テレビ、ストーブもない中で、歯を食い縛って生きなければいけないのかと思うと、神様に向かって「ここまでするか!」と叫びたくなります。


3月半ばを過ぎ、まさに寒さのピークで、一番の耐え時だと思いますが、亡くなられた方の分と守らなければいけない人の為にも、挫けず、一生懸命生きて欲しいです。


暖かい春よ、早く来い!!!


大地震から早くも、4日の夜が経ちました。


テレビも災害発生以来、相変わらず、24時間体制で被災地の様子を報じてます。

東京では、原発が停止している事に端を発した、電力不足による大規模な停電を回避する為に計画停電が始まりました。


お陰で、停電を予定された地域では、店の営業を取り止めたり、電力を大量に消費する電車の本数も大幅に運休したりと、たくさんの人に大きな影響を及ぼしました。


原発の停止は対岸の岸状態で見てただけに、まさかここまで関東の人の生活まで影響を与えてしまうとは想定外でした。


しかし、蓋を開けて見ると、皆節電を心掛けたかいあってか、電力に余裕が生まれ、停電する事もなく生活できた地域が多数にのぼり、取り越し苦労でした。


要は皆節電さえ心掛けてれば、計画停電は必要もないだけに、これを機に電力の有難みを実感し、節電する人が増えればいいのです。

さて、連日気仙沼が大きく報道されてますが、新たに多くの人が救助されるシーンが目立ちました。


そういうシーンを見るたびにもう既に、復興に向けて一歩一歩前進している様な前向きな気持ちにさせてくれます。


一方で増える犠牲者の数を聞くと、言葉がでません。

まさか自分の故郷の人間がこんな目に合うなんて本当に信じられません。


まだまだ、本格的な捜索、救助はこれからです。


もう既に一万人を救助した自衛隊、海外からの応援部隊が、今後もより沢山の気仙沼人を救援する事でしょう。

期待してます!!


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